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Sunday, January 1, 2012

『シンクロニシティ』

リーダーシップとは、つまりは人間の可能性を解き放つということだ。すぐれたリーダーシップに必要な条件の一つは、そのグループにいる人々に活力を与える能力である。人々の心を動かし、勇気づけ、活動に集中させる能力であり、一心不乱に取り組み、最大限の力を発揮してものごとを行う手助けをする能力である。

人々に活力を与えるというこの能力の重要な要素は、その人たちにに対して伝えることだ。あなたがその人たちのすばらしさを信じている、ということを。その人たちにはほかの人に与えるべき何か大切なものがあることが、あなたにはわかっている、ということを。

『シンクロニシティ』 ジョセフ・ジャウォースキー

しかし、私に必要なのは、私が死にもの狂いになって求めたのは、知識や理解ではなく、体験であり、決定であり、突進であり、飛躍であった。

『荒野のおおかみ』 ヘルマン・ヘッセ

実家に帰って後期ヘッセの文庫本を持ち帰る。大学時代に受けたギリシア悲劇の授業で、教授がみずからの運命を生ききることの偉大さを解説していたが、そのための行動をとれるフィールドを持っているということの僥倖を噛みしめるべきなのだろう。個に固執するのではなく時間を超えた宇宙の真理に身を任せるとき、因果律を超えた偉大さは生まれる。

2012

2012年がいよいよ始まった。仕事の面で言うと、昨年はリーダーとしての修業の年、そして今年は実際にものごとを展開させていく年になる。昨年のはじめに今のポジションに就いて、様々な指摘を受けながらいろいろと模索してみて、ここまでに見えてきたものも少なからずある。チーム全体の共有ビジョンを実現するために重要なのは自分の良し悪しを他人と比べることではなく、各人が各々の力を存分に発揮できるような場を作ることであり、掛け合いによって生まれるものの力を信じることである。

自分自身に固執し、非常に狭い視野で世界を見ていたステージを脱却し、新たなステージに登らなければならない。以前指摘されたとおり、私の弱点が「場の力を信じられない」ところにあるのだとしたら、それは克服されるべきものなのだろう。そして一般論として書かれた「場」に対する考察がそのようなチャレンジの手助けになるのであれば、最終的には行動に移さない限り無意味だという前提を踏まえた上で、それを利用しない手はない。ということで、『シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ』(ジョセフ・ジャウォースキー)と『出現する未来』(ピーター・センゲ 他)を購入。

Wednesday, March 3, 2010

『希望を捨てる勇気』

池田信夫の『希望を捨てる勇気』を読む。著者が一貫して訴えるのは、労働市場の流動化の重要性。以下、面白かったところを簡単にまとめる。

1. 日本では正社員を解雇するのが非常に難しい。そのため新卒を採用せず、すぐに解雇できる非正社員を雇うことでバッファを厚くし、既存正社員の既得権を守ろうとする。この問題を解決するには、労働市場の流動化が不可欠。

2. 終身雇用の時代には、若い頃は安月給で猛烈に働き、年をとってからその分を取りかえす(高収入や天下り)、というモデルが成り立った。しかし大企業ですら40年もつか分からない現在、がむしゃらに働ききった直後に首を切られることだってありうる。もはや終身雇用は成り立たない。実際、東大の人気職種は、かつては役所だったが、いまでは若い頃から高い給与が得られる外資である。

3. 終身雇用では、若い頃は会社に貯蓄し、年をとってから元を取り返すことが前提となる。そのため途中で会社を辞めると、非常に大きな損失を被ることになる。損をしないためにも、ひとつの組織に同調し続け、着実に出世していくことが求められるので、日本のサラリーマンは心理的に大きな重圧を抱えることになる。アメリカの研究者は、次のような調査結果を報告している。

・この会社をよくするために、言われたより良く働く:日54.3%、米74.3%
・私の価値観はこの会社の価値観とまったく同じだ:日19.3%、米41.5%
・いま知っていることを入社時に知っていたら、もう一度この会社を選ぶ:日23.3%、米69.1%

<感想>
納得できる部分が多かった。同年代の僕の友達でも、かつての終身雇用モデルでキャリアプランを立てている人なんてひとりもいない。

ここに取り上げた部分は、主に大企業に関する分析。中小やベンチャーだと、経営者の考えももう少しフレキシブルだと思う。実際、自分の会社を踏み台にして独立を促すような会社も存在する。(僕もそういう会社の社長と話したが、彼も労働市場の流動化の重要性を力説していた。)

年間自殺者数が三万人を越える現在、ストレスを抱えながら同じ組織に一生いようとするよりも、転職や起業できるだけの力を身につけ、どんな状況になっても自分で飯を食っていけるように努力する方がリスクヘッジとしては賢い。それにその方が人生も楽しい。

Saturday, February 27, 2010

これからの出版業界

風邪で外に出ることもできないので、少しばかりネットサーフィンをしてみる。生命保険のライフ・ネットの副社長、岩瀬氏が自著『生命保険のカラクリ』を期間限定で全文無料ダウンロードすると発表。さっそくダウンロードしてみる。(リンク

アメリカの経済学系の著作だと、ときどき全文ダウンロードもあったりするのだが、日本語での試みはこれが初めてではないだろうか。

今後、出版業界でもこうしたネット配信が加速していくのだろう。アマゾンのキンドルは印税を70%(これまでの倍)にすると言っているし、出版社と著者のパワーバランスが逆転するのは確実。(リンク

音楽はすでにネット購入が一般的になってきたが、書籍にもその波が押し寄せるということだろう。ただ書籍の場合、液晶画面だと目が疲れる、紙じゃないと書き込みができない、といった要望も残り続ける。そうすると、今後は高速両面印刷、新書や文庫サイズ可能のプリンタなんかが売れたりするのかもしれない。

あるいは逆に、気に入った本は業者に発注して、自分だけのオリジナル書籍を作る、なんて動きも出てくるのかもしれない。すでに大日本印刷はネット経由でオリジナル本を作る事業をスタートしている。(リンク)現在は写真集といった形態を想定しているようだが、将来的に、例えば大ヒットした小説をテーマにした装丁コンテスト、みたいなのをやっても面白いかもしれない。ネット経由で入手した小説(『恋空』でも『1Q84』でもなんでもいいが)に合わせて、読者が自分なりの装丁(文字のフォントからサイズ、表紙デザインまで)を創作、作品の世界観に最もマッチするものを投票で決める、とか。

なんにせよ、これまで本としてカテゴライズされてきたものが、これからは情報(文字の羅列)とモノ(デザインとか紙の質感とか)に二分され、それぞれに進化を遂げていくのかな、という気がしている。

Saturday, February 20, 2010

レジス・ドブレ

完全休養。軽く筋トレをしただけ。

去年お世話になったエージョントからインタビューの依頼を受ける。自分の活動を総括する意味でも、OKを出そうかと思っている。

本棚からレジス・ドブレの『一般メディオロジー講義』を取り出し、パラパラとめくる。ある思想が現実的な力に至るまでのメディア(媒体)を、キリスト教やマルクス主義を引き合いに出しながら論じた本。これ、言い換えると、キリスト教やマルクス主義をケーススタディとしたマーケティングの戦略分析、ということになると思う。たとえば、キリスト教は新しい顧客(信者)を獲得するために、どのようなブランド戦略を作成したのか。

キリストを大工の息子として受肉させ、いちど大衆のレベルにまで落としたことで、潜在顧客である一般人は自己投影しやすいイメージを獲得した。「あのキリストだって神の領域にまで達することができたんだ。それなら私だって!」という風に。構造的にはプロアクティブの広告と同じ。高感度の高いタレントをイメージモデルとして起用し、「いまではこんなに素敵にな彼女も、昔はあなたと同じようににきびで悩んでいた。わが社の製品を使うことで彼女は変わることができた。だからあなたもわが社の製品を使いなさい!」と宣伝する。キリスト教もまた、「いまでは神の領域にいるキリストも、昔はあなたと同じような平民だった。神に目覚めたからこんなにも偉大になれたんだ。だからあなたもキリスト教に入りなさい!」という物語を提供する。(あるいは、「あなたと同じように身持ちを崩したアウグスティヌスも、キリスト教への回心を経てこんなに立派に!」キリスト教はそんな物語の宝庫。)

キリスト教のここら辺の構造を非難したのがニーチェ。キリスト教は最初に「この世は苦しい、人生はつらい」という世界観を吹き込み、次に「何も考えずにキリスト教に入れば救われますよ」とそそのかすことで拡大してきた、というのが彼の見解。

(だからと言って、ニーチェの超人思想が完璧だとも思わない。あまりにも観念的だし、充足を得るには他者の存在が必要、という現実も無視している。また、フランスで敬虔なカトリック教徒とずっと暮らした経験から、キリスト教がもたらす力強さにもリスペクトを抱いている。)

とにかく『一般メディオロジー講義』、コトラーのマーケティング入門書と一緒に読んで、近いうちにまとめてブログに載せます。自分の仕事に生かせる部分が見つかるかもしれないし。

* キリストを一人の人間として描き出したニコス・カザンザキスの『キリスト 最後のこころみ』を読むと、悩める若者、キリストに感情移入せずにはいられなくなる。この感情移入こそがキリスト教普及の原動力であった、と考えることもできるのだろう。ただ、「人間としてのキリスト」という解釈は異端なのかもしれない。実際カザンザキスは、この本が原因でキリスト教を破門させられている。

Friday, February 19, 2010

『ビジョナリーカンパニー2』

『ビジョナリーカンパニー2』を読了。「凡庸」な会社がいかにして「偉大」な会社になったかを分析した本。データとしては面白いし、自分の会社を客観的に評価する基準としては非常に有効。しかし、あくまでも会社という組織を分析対象とした論考なので、個人として自分の人生をどのように選択するかとなると、また話は別。「偉大」な会社の一員になることがすべてではないので。

年度末ということもあり、自分も含めて人生の転換点にいる人たちが多い。そういう場に立ち合えるということがエキサイティングだし、お互いにヘルプしあいながら人脈を増やしていったり、ということも面白い。

なぜか、ラカンの象徴界と草食系について思いを巡らす。人間の欲望は尽きることがない。高級な車を買ったら、今度は家が欲しくなる。立派な家を買ったら、今度は若さが欲しくなる。しかも途切れることのないこの欲望の連鎖、自分の中から自然に湧き出たものではない。高級な車が欲望の対象となったのは繰り返されるコマーシャルのせいかもしれないし、若さを崇拝する風潮だって現代社会によってすり込まれた迷信かもしれない。

おそらく数十年前ならば、永遠に続く欲望の連鎖に疑問を抱くこともなかった。男は車を欲しがるのが「当然」であり、家を欲しがるのが「自然」だった。欲望は他者によって作られる、ということを考えることはなかった。しかし現代、欲望は他者によって作られる、ということを誰もが知っている。そして、欲望の連鎖には終わりがないことも。さらに、「どうせ終わりのない欲望ならば、何を獲得しても『何かが足りない』という思いを抱き続けるのならば、最初から何も望まない方がよっぽどシンプルじゃないの?」とも感じている。

と、思いつくままに書いてみたが、こうして見てみるとどうもニヒリズムに近くなる。ただニヒリズムの場合、人生における最終的な目標(ラカンの言う対象aみたいなもの?)を諦めた結果、人生は完全なる無法地帯へと変わり、タブーはなくなり、何でもありの世界で遊びまくる、というような方向に進む。しかしいま言われている草食系の場合、最終的な目標なんてないなら最初から動かなくていいよね、という方向に進んでいるような気もする。ニヒリズムだと他人に迷惑かけまくり、その代わり何かが変わるかもしれない。草食系だと人畜無害、ただそこからは何も生まれない?

ちなみに、フランスから帰ってきたときにいちばん驚いたのが、「草食系」と「婚活」という言葉が生まれていたこと。そんな言葉、一年半前にはなかったのに。

Wednesday, February 10, 2010

『ビジョナリーカンパニー』

ビジネス書の古典、『ビジョナリーカンパニー』を読了。際立ったエリート企業18社を分析し、共通する特徴を抽出してまとめた本。非常に面白い。自分の会社と比較して読むと、さらに楽しめる。さっそく『ビジョナリーカンパニー2』も注文しました。

読んでおきたい本がいくつか溜まっている。まずはドラッカーの『マネジメント』。それからコトラーのマーケティングの入門書。マーケティングの本はすでに何冊か読んでいるが、一応コトラーも押さえておきたい。

Wednesday, December 30, 2009

アート雑感

イタロ・カルヴィーノの『まっぷたつの子爵』を読了、ヘンリー・ミラーの『Tropic of Cancer』を英語で読み始め、先ほど カトリーヌ・ブレイヤの「ロマンスX」を鑑賞。現在、グレン・グールド演奏、ブラームスのBalladesをヘッドホンで聞きながら文章を書いている。これまでの渇きを癒すかのようにアートに触れる日々。それだけ身体が欲していたということだろう。

先日、大学院の後輩とも話したのだが、ヘンリー・ミラーは最大の博愛主義者だと思う。数年前に『Tropic of Capricorn』を読んだとき、身体が震え涙で文字が見えなくなった。『Tropic of Cancer』も然り。しかもCancerの場合、舞台がパリなだけにいっそう思い入れが深い。

ミラーの作品の本当の魅力は英語で読まなければ分からない。文体が身体を突き刺し、血液を浄化するような快感がある。僕のなかにある三つの言語、日本語、英語、フランス語のうち、英語は読み、話す言語、フランス語は聞く言語、日本語は・・・強いて言えば書く言語か(身体的な快感という意味では、英語の方に分がある)。

まったく期待していなかった「ロマンスX」だが、意外なことにけっこう面白かった。女性の語り手によるセックスの告白という点では、マルグリット・デュラスなどの先例がいくらでもある。ただこの作品の場合、女性の身体性と欲望を直接的なイメージとして表象したというところが特異なのかもしれない。映像の衝撃性という意味では、今年の春パリで見た(そして日本では絶対に公開することのできない)、ラース・フォン・トリアーの「Antichirist」の方がはるかに強烈だったが。

肉体的な痛みを感じなくなって久しい。柔道をしていた頃は、毎日のように畳に投げつけられ、骨も折ったし、捻挫や打ち身も数え切れないほど繰り返した。いまでもジョギングのときに意識的に身体をいじめたりはするが、それでも肺が焼けつき、多少の酸欠を感じる程度。もう少し違う刺激を与えてもいいような気がする。

現代思想の流行で「身体知」ということをよく言う。しかしそれがどんなものだか、とうとう最後まで分からなかった。デカルト以降の理性的人間に対するアンチテーゼを、西洋のインテリが仲間内で騒ぎ立てているようにしか思えなかった。肉塊でしかない身体を引きずりながら、その肉塊を好きなようにもてあそんだ方がよほど面白い、という気もしないでもない。

Sunday, December 27, 2009

『自由への道』

電車の中でマリア・カラスの「トスカ」を聴きながらサルトルの『自由への道』第一部、「分別ざかり」を読む。久しぶりに小説を楽しむ。先生の今年の労作に感動。

この小説の主人公、マチウの姿に部分的に自分をダブらせる。34才、かつては冒険を追い求め、しかし現在は高校の哲学教師。完全に自由であることを願い、何ものにも拘束(engager)されたくないがために、何ものにもコミットしてこなかった男。ブルジョワを軽蔑しながらもブルジョワ的な生活を送り、現実から目をそむけ、自己欺瞞の中で責任を回避し続けてきた、しかしいいかげんに「分別」を覚えなければならない男。

『嘔吐』のロカンタンもそうだが、冒険に満ちた青春を送りながらも、結局は平凡な日常に落ち着く、そこに漂う一抹の焦燥感と、しかし「それでいいんだ」という納得の心持ちを描くのが、サルトルはうまい。「自由でなければならない」、という拘束からも自由であること。放浪にはロマンがあるが、責任がない分、現実に欠けている。

Tuesday, December 15, 2009

『プロフェッショナルの条件』

ピーター・ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読み返す。以下、面白かったところのまとめ。(少しアレンジしています。)

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会社組織は、明確な一つの使命を持たなければならない。そして組織の成果は、その使命に賛同した知識労働者が、それぞれの専門性と強みを活かしながら力を合わせることによってもたらされる。「自分の行っていることは社会にとって必要不可欠だ」と確信した労働者が集まることで、組織は最高の仕事を成し遂げられる。

このような組織において、すべての者はエグゼクティブである。彼ら・彼女らは、自分の仕事を自分でマネジメントする。上から言われた仕事を単純に繰り返すのではない。組織への貢献に焦点を当てつつ、最上の意思決定を自ら行い、同時に自らの行動の責任を取り、そして常に成果によって評価される。

しかし、自律的であるということは孤独であるということではない。一つの専門知識は、他の専門知識と結合することで、初めて生産的になる。組織で働く者は、「誰に何を理解してもらえば自分の専門知識が成果につながるか」、「組織の業績に対する自分の最も重要な貢献は何か」について徹底的に考えなければならない。知識労働者が構成する組織では、あらゆる者は同等であり、目的を同じくする一つのチームである。組織の使命を共有したメンバーが自律性を保ちつつ、お互いに協力しながら事業を展開することで、成果は生まれる。

このように知識労働者は、自らで自らをマネジメントする。だが、彼ら・彼女らが、自分ではコントロールできないものもある。それは1)時間、2)日常業務、3)他の者が自分の貢献を利用してくれるときのみ、成果をあげることができるという現実、4)組織の内部にいるという現実、である。組織に対する利益は、組織の外の世界の変化によってもたらされる。しかし組織の内部にいると、外の現実が見えにくくなる。

外の現実から切り離され、時代遅れにならないためにも、知識労働者は四、五年おきに新しい知識を仕入れなければならない。そして、イノベーションによって組織を変化させ続けなければならない。イノベーションの方法としては、1)絶えざる改善、2)成功している事業の応用法の開発、3)イノベーション自体を組織のマネジメント・プロセスに取り込む、といったことが挙げられる。

知識人と組織は、互いが互いを必要とする。知識人は、自らの専門知識を社会に適用する手段として組織を見る。組織がなければ、知識人は「好きなことをしている」だけである。組織は知識労働者に対して、その知識を活かすための最高の機会を与えることで初めて、彼ら・彼女らを獲得する。