Saturday, February 20, 2010

レジス・ドブレ

完全休養。軽く筋トレをしただけ。

去年お世話になったエージョントからインタビューの依頼を受ける。自分の活動を総括する意味でも、OKを出そうかと思っている。

本棚からレジス・ドブレの『一般メディオロジー講義』を取り出し、パラパラとめくる。ある思想が現実的な力に至るまでのメディア(媒体)を、キリスト教やマルクス主義を引き合いに出しながら論じた本。これ、言い換えると、キリスト教やマルクス主義をケーススタディとしたマーケティングの戦略分析、ということになると思う。たとえば、キリスト教は新しい顧客(信者)を獲得するために、どのようなブランド戦略を作成したのか。

キリストを大工の息子として受肉させ、いちど大衆のレベルにまで落としたことで、潜在顧客である一般人は自己投影しやすいイメージを獲得した。「あのキリストだって神の領域にまで達することができたんだ。それなら私だって!」という風に。構造的にはプロアクティブの広告と同じ。高感度の高いタレントをイメージモデルとして起用し、「いまではこんなに素敵にな彼女も、昔はあなたと同じようににきびで悩んでいた。わが社の製品を使うことで彼女は変わることができた。だからあなたもわが社の製品を使いなさい!」と宣伝する。キリスト教もまた、「いまでは神の領域にいるキリストも、昔はあなたと同じような平民だった。神に目覚めたからこんなにも偉大になれたんだ。だからあなたもキリスト教に入りなさい!」という物語を提供する。(あるいは、「あなたと同じように身持ちを崩したアウグスティヌスも、キリスト教への回心を経てこんなに立派に!」キリスト教はそんな物語の宝庫。)

キリスト教のここら辺の構造を非難したのがニーチェ。キリスト教は最初に「この世は苦しい、人生はつらい」という世界観を吹き込み、次に「何も考えずにキリスト教に入れば救われますよ」とそそのかすことで拡大してきた、というのが彼の見解。

(だからと言って、ニーチェの超人思想が完璧だとも思わない。あまりにも観念的だし、充足を得るには他者の存在が必要、という現実も無視している。また、フランスで敬虔なカトリック教徒とずっと暮らした経験から、キリスト教がもたらす力強さにもリスペクトを抱いている。)

とにかく『一般メディオロジー講義』、コトラーのマーケティング入門書と一緒に読んで、近いうちにまとめてブログに載せます。自分の仕事に生かせる部分が見つかるかもしれないし。

* キリストを一人の人間として描き出したニコス・カザンザキスの『キリスト 最後のこころみ』を読むと、悩める若者、キリストに感情移入せずにはいられなくなる。この感情移入こそがキリスト教普及の原動力であった、と考えることもできるのだろう。ただ、「人間としてのキリスト」という解釈は異端なのかもしれない。実際カザンザキスは、この本が原因でキリスト教を破門させられている。

No comments:

Post a Comment