すげえ働き方をしてる。超ハイレベルの帝王学を習得してる感じ。がしがし進んでいこう。社会的意義もすさまじいし、燃える。
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Wednesday, April 7, 2010
Saturday, April 3, 2010
サルトル
仕事をしていてギリギリのときにサルトルやオクタビオ・パスが出てきて自分を支えてくれる。(自分のなかの他者を顕在化することがポエジーだとか、私は一人の他者だとか。)これまで哲学や文学をやってきてよかった。明日は五時起きです。
Friday, April 2, 2010
Wednesday, March 31, 2010
フリーダ
DVDで『フリーダ』を見る。苦痛と愛と表現。色々な人生があるものだと思う。
「苦しみがなくなるようにとか、苦しみが少なくなるようにとか求めないこと。そうではなく、苦しみによって損なわれないようにと求めること」
「苦しみがなくなるようにとか、苦しみが少なくなるようにとか求めないこと。そうではなく、苦しみによって損なわれないようにと求めること」
シモーヌ・ヴェイユ
バッハのマタイ受難曲(リヒテル指揮)を聴いている。何かあるときには常に聞くことにしている曲。
アルノー・デプレシャンのKings and Queensで、亡くなった夫との間にできた子供を巡って奮闘する女性がしゃっくりをあげて泣きじゃくる場面がある。本当に辛くて本当に悲しくて本当にどうしようもないとき、人間はあんなふうに泣くんだ、と思って非常なインパクトを受けた。と同時に、それはとても正しいことのようにも思えた。
「本当に真剣な哲学的問題はひとつしかない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否かを判断すること、それこそが哲学の根本的な問題に答えるということだ。」
自らの存在を死の中に投棄することで自由?威厳?良心?が到来する、と言ったのはハイデガーだっただろうか?リルケは胸の中に死を抱くことで誇りが生まれる、というようなことを言っていた。
自分の運命に出会う。
ヘッセの『荒野の狼』の最後に出てくるゲーテの笑いは、おそらくはニーチェの影響下から生じたものだろうが、それはフランス的精神にも通じるところがある。自分自身を笑い飛ばすこと、状況が深刻になればなるほど、その状況を嘲笑すること。アイロニーの精神が消えたところに、アゼラリスト(ラブレーが作り、クンデラが再発見した語。決して笑わない真面目な人々、という意味)が現れる。
フランス文学を起点として人生が大きく変わり、様々な人と出会い、いろいろな場所に行った。それだけでも感謝しなければならない。
ドイツ教養小説の偉大さ。ひとりの人間の人生は、ひとつの芸術作品である。
少し疲れている。のどに違和感を感じたので、念のため少し早めに風邪薬を服用。
アルノー・デプレシャンのKings and Queensで、亡くなった夫との間にできた子供を巡って奮闘する女性がしゃっくりをあげて泣きじゃくる場面がある。本当に辛くて本当に悲しくて本当にどうしようもないとき、人間はあんなふうに泣くんだ、と思って非常なインパクトを受けた。と同時に、それはとても正しいことのようにも思えた。
「本当に真剣な哲学的問題はひとつしかない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否かを判断すること、それこそが哲学の根本的な問題に答えるということだ。」
アルベール・カミュ
ドストエフスキーの『悪霊』に出てくるニコライ・スタヴローギンは文学史上おそらく最も深刻な人物であり、個人的にも自分の存在の本質に関わる。彼にとって人生は完全なる遊びであり、そこにはいかなる価値もない。ニヒリズムに耐えられなくなったスタヴローギンは最後には自殺する。
ドストエフスキーの『悪霊』に出てくるニコライ・スタヴローギンは文学史上おそらく最も深刻な人物であり、個人的にも自分の存在の本質に関わる。彼にとって人生は完全なる遊びであり、そこにはいかなる価値もない。ニヒリズムに耐えられなくなったスタヴローギンは最後には自殺する。
自らの存在を死の中に投棄することで自由?威厳?良心?が到来する、と言ったのはハイデガーだっただろうか?リルケは胸の中に死を抱くことで誇りが生まれる、というようなことを言っていた。
自分の運命に出会う。
ヘッセの『荒野の狼』の最後に出てくるゲーテの笑いは、おそらくはニーチェの影響下から生じたものだろうが、それはフランス的精神にも通じるところがある。自分自身を笑い飛ばすこと、状況が深刻になればなるほど、その状況を嘲笑すること。アイロニーの精神が消えたところに、アゼラリスト(ラブレーが作り、クンデラが再発見した語。決して笑わない真面目な人々、という意味)が現れる。
フランス文学を起点として人生が大きく変わり、様々な人と出会い、いろいろな場所に行った。それだけでも感謝しなければならない。
ドイツ教養小説の偉大さ。ひとりの人間の人生は、ひとつの芸術作品である。
少し疲れている。のどに違和感を感じたので、念のため少し早めに風邪薬を服用。
Friday, March 26, 2010
ニーチェ
なんだかやたらと忙しい一週間。引越しやら家具の組み立てやら、日用品を買ったり家電を買いなおしたり、さらに講演会にも行ったし、インタビュー記事の校正や人との食事もあった(大学の後輩と知り合えて面白かったけど)。ここらで少し積極的休養をとらないと後に響きそう。
「人間は自由である。しかし自らを自由と信じない限り、もはや自由ではない」というようなことをカサノヴァが言っていた。
かつて、いかにカッコよくハッピーに生きるか、ということが自分のテーマだったことがある。そこら辺の基本は忘れてはいけないと思う。
いま、ニーチェの本が売れているらしい。しかし、ニーチェの中に何らかの答えを見いだそうとするならば、それはニーチェ自身を裏切ることとなる。ニーチェが言っているのは、現実を直視し、徹底的に自分の頭で考えること。彼は読者が自分の弟子になることを強く否定する。
二十歳くらいでニーチェと出会い、そこからずっとニーチェは私のそばにあった。現実を見つめ、たとえどんな状況にいようとも気高くあること、没落しようとも自らの道を進むこと、従うべき指針はみずからの手で作ること、世の中の善悪、道徳は歴史の中で形成された人為的な価値観であり、決して絶対的なものではないこと、そういったところに大きな影響を受けてきた。
ニーチェ曰く、人は誇り高い貴族でなければならない。しかし貴族の証しは過去の系譜によって決定されるのではない。現代の貴族は、みずからが作るみずからの未来によってその称号を手にする。自分がこれから成し遂げる行動、何を考え、何を行うか、それが自分自身を貴族へと変える。
ニーチェのツァラトゥストラの中に、こんなシーンがある。一匹の龍と一頭の獅子が対面している。龍のうろこには数千年もの歴史を背負った「汝成すべし(お前は~をしなければならない)」が刻み込まれている。対して獅子は「我欲す(私は~をしたい)」と吼えかかる。
龍に迎合するのではなく、獅子として生きること、そして現在の己を超越すること。いまの日本に、「我欲す」と吼えられる獅子がどれほどいるのだろうか?
人間は誰でも、獅子として生きる自由がある。獅子として吼えることができないのならば、あるいは吼えることすら忘れているのだとしたら、それは幻想の龍に知らないうちに絡めとられているからである。まずは、自分がいま一番したいことをやってみるといい。小さな欲望を叶えてあげることで、より大きな欲望が目を覚ます。ラカンが言うように、欲望に終わりはないのかもしれない。しかし欲望は生きるモチベーションとなる。
「人間は自由である。しかし自らを自由と信じない限り、もはや自由ではない」というようなことをカサノヴァが言っていた。
かつて、いかにカッコよくハッピーに生きるか、ということが自分のテーマだったことがある。そこら辺の基本は忘れてはいけないと思う。
いま、ニーチェの本が売れているらしい。しかし、ニーチェの中に何らかの答えを見いだそうとするならば、それはニーチェ自身を裏切ることとなる。ニーチェが言っているのは、現実を直視し、徹底的に自分の頭で考えること。彼は読者が自分の弟子になることを強く否定する。
二十歳くらいでニーチェと出会い、そこからずっとニーチェは私のそばにあった。現実を見つめ、たとえどんな状況にいようとも気高くあること、没落しようとも自らの道を進むこと、従うべき指針はみずからの手で作ること、世の中の善悪、道徳は歴史の中で形成された人為的な価値観であり、決して絶対的なものではないこと、そういったところに大きな影響を受けてきた。
ニーチェ曰く、人は誇り高い貴族でなければならない。しかし貴族の証しは過去の系譜によって決定されるのではない。現代の貴族は、みずからが作るみずからの未来によってその称号を手にする。自分がこれから成し遂げる行動、何を考え、何を行うか、それが自分自身を貴族へと変える。
ニーチェのツァラトゥストラの中に、こんなシーンがある。一匹の龍と一頭の獅子が対面している。龍のうろこには数千年もの歴史を背負った「汝成すべし(お前は~をしなければならない)」が刻み込まれている。対して獅子は「我欲す(私は~をしたい)」と吼えかかる。
龍に迎合するのではなく、獅子として生きること、そして現在の己を超越すること。いまの日本に、「我欲す」と吼えられる獅子がどれほどいるのだろうか?
人間は誰でも、獅子として生きる自由がある。獅子として吼えることができないのならば、あるいは吼えることすら忘れているのだとしたら、それは幻想の龍に知らないうちに絡めとられているからである。まずは、自分がいま一番したいことをやってみるといい。小さな欲望を叶えてあげることで、より大きな欲望が目を覚ます。ラカンが言うように、欲望に終わりはないのかもしれない。しかし欲望は生きるモチベーションとなる。
Tuesday, March 23, 2010
Thursday, March 18, 2010
Friday, March 5, 2010
Radio Spider
J-WaveのRadio SpiderをUstreamで見ている(聞いている)。毎回テーマを設けて、パーソナリティーのサッシャがゲストから話をひきだすインタビュー番組。今回のテーマは「音楽にデザインは必要か?」ゲストはアートディレクターのヒロ杉山氏。
曲がかかっている間の談笑の映像をライブで見られるのが、なかなか面白い。隙間の時間に談笑して場の雰囲気を和らげる能力、インタビューをする上で非常に重要なんだろう。それからインタビューでは、相手のことを十分調べた上で、相手が何を話したがっているか、どういう切り口で切り込んだら気持ちよく話してもらえるか、ということを考えるのも大切。
*J-Waveは東京のラジオステーション。Radio SpiderはJ-Waveの番組。Twitterと連動して視聴者と意見交換をしながら番組が進行していく。番組情報はMySpaceで発信。Ustreamは動画投稿サイト。YouTubeと違い、ライブ放送を発信することができる。(リンク:Ustream内Radio Spider)
それから、先週のJ-Waveの放送(別番組)でショーン・K氏が言っていた印象的な言葉。曰く、「仕事をしていく上で8割は自分が仕事ができる環境作り、2割が自分の仕事。」
近況。iPhoneのカバーを変えた。身近にあるちょっとした小物にお金をかけることで、日常がグッと豊かに。ネイルアートに支出する女性の気持ちがわかるような気がする。(リンク)
あと来週、関西方面に旅行します。楽しみ!
曲がかかっている間の談笑の映像をライブで見られるのが、なかなか面白い。隙間の時間に談笑して場の雰囲気を和らげる能力、インタビューをする上で非常に重要なんだろう。それからインタビューでは、相手のことを十分調べた上で、相手が何を話したがっているか、どういう切り口で切り込んだら気持ちよく話してもらえるか、ということを考えるのも大切。
*J-Waveは東京のラジオステーション。Radio SpiderはJ-Waveの番組。Twitterと連動して視聴者と意見交換をしながら番組が進行していく。番組情報はMySpaceで発信。Ustreamは動画投稿サイト。YouTubeと違い、ライブ放送を発信することができる。(リンク:Ustream内Radio Spider)
それから、先週のJ-Waveの放送(別番組)でショーン・K氏が言っていた印象的な言葉。曰く、「仕事をしていく上で8割は自分が仕事ができる環境作り、2割が自分の仕事。」
近況。iPhoneのカバーを変えた。身近にあるちょっとした小物にお金をかけることで、日常がグッと豊かに。ネイルアートに支出する女性の気持ちがわかるような気がする。(リンク)
あと来週、関西方面に旅行します。楽しみ!
Saturday, February 27, 2010
インフル?
風邪、まだ完治せず。というかこれ、インフルエンザなのかも知れない。考えてみたら去年、パリで一週間寝込んだのも、一昨年38度の熱で院試を受けたのも、症状としてはインフルエンザだったような気がする。だとすると来年以降はワクチン接種とかも考えた方がいいのかもしれない。今日は外に出なければならないので、とりあえずマスクします。
Friday, February 26, 2010
Wednesday, February 24, 2010
花粉症?
花粉症を発症らしい。ちょっとキツイ。フランスにいたときは何ともなかったのに、日本は花粉が多すぎる。
昼、友達と井の頭公園を散策。週末に試験があるとはいえ、今週は少しのんびりモード。試験対策の追い込みと三月頭に提出する書類の作成、あとは食事会をいくつかセッティングすれば今週のノルマは達成。
昼、友達と井の頭公園を散策。週末に試験があるとはいえ、今週は少しのんびりモード。試験対策の追い込みと三月頭に提出する書類の作成、あとは食事会をいくつかセッティングすれば今週のノルマは達成。
Monday, February 22, 2010
Sunday, February 21, 2010
ビジネス書
午後から仕事。ちょっと疲れが溜まっているが、好きな仕事なので苦ではない。来週末は資格試験。
三月の頭くらいまでに、これまでの仕事の総括と業界分析のレポートを作成しようと思っている。今後の仕事にも繋がることだし。どうせだから、エクセルでわりとカッツリと作ろう。
本屋で経済学、経営学系の本を眺める。今年のビジネス書No.1、『ブラックスワン』はやはり読んでおきたい。後は、『イノベーションのジレンマ』とか『ネクスト・マーケット』とか。特に『イノベーションのジレンマ』あたりは必読書。
三月の頭くらいまでに、これまでの仕事の総括と業界分析のレポートを作成しようと思っている。今後の仕事にも繋がることだし。どうせだから、エクセルでわりとカッツリと作ろう。
本屋で経済学、経営学系の本を眺める。今年のビジネス書No.1、『ブラックスワン』はやはり読んでおきたい。後は、『イノベーションのジレンマ』とか『ネクスト・マーケット』とか。特に『イノベーションのジレンマ』あたりは必読書。
Friday, February 19, 2010
『ビジョナリーカンパニー2』
『ビジョナリーカンパニー2』を読了。「凡庸」な会社がいかにして「偉大」な会社になったかを分析した本。データとしては面白いし、自分の会社を客観的に評価する基準としては非常に有効。しかし、あくまでも会社という組織を分析対象とした論考なので、個人として自分の人生をどのように選択するかとなると、また話は別。「偉大」な会社の一員になることがすべてではないので。
年度末ということもあり、自分も含めて人生の転換点にいる人たちが多い。そういう場に立ち合えるということがエキサイティングだし、お互いにヘルプしあいながら人脈を増やしていったり、ということも面白い。
なぜか、ラカンの象徴界と草食系について思いを巡らす。人間の欲望は尽きることがない。高級な車を買ったら、今度は家が欲しくなる。立派な家を買ったら、今度は若さが欲しくなる。しかも途切れることのないこの欲望の連鎖、自分の中から自然に湧き出たものではない。高級な車が欲望の対象となったのは繰り返されるコマーシャルのせいかもしれないし、若さを崇拝する風潮だって現代社会によってすり込まれた迷信かもしれない。
おそらく数十年前ならば、永遠に続く欲望の連鎖に疑問を抱くこともなかった。男は車を欲しがるのが「当然」であり、家を欲しがるのが「自然」だった。欲望は他者によって作られる、ということを考えることはなかった。しかし現代、欲望は他者によって作られる、ということを誰もが知っている。そして、欲望の連鎖には終わりがないことも。さらに、「どうせ終わりのない欲望ならば、何を獲得しても『何かが足りない』という思いを抱き続けるのならば、最初から何も望まない方がよっぽどシンプルじゃないの?」とも感じている。
と、思いつくままに書いてみたが、こうして見てみるとどうもニヒリズムに近くなる。ただニヒリズムの場合、人生における最終的な目標(ラカンの言う対象aみたいなもの?)を諦めた結果、人生は完全なる無法地帯へと変わり、タブーはなくなり、何でもありの世界で遊びまくる、というような方向に進む。しかしいま言われている草食系の場合、最終的な目標なんてないなら最初から動かなくていいよね、という方向に進んでいるような気もする。ニヒリズムだと他人に迷惑かけまくり、その代わり何かが変わるかもしれない。草食系だと人畜無害、ただそこからは何も生まれない?
ちなみに、フランスから帰ってきたときにいちばん驚いたのが、「草食系」と「婚活」という言葉が生まれていたこと。そんな言葉、一年半前にはなかったのに。
年度末ということもあり、自分も含めて人生の転換点にいる人たちが多い。そういう場に立ち合えるということがエキサイティングだし、お互いにヘルプしあいながら人脈を増やしていったり、ということも面白い。
なぜか、ラカンの象徴界と草食系について思いを巡らす。人間の欲望は尽きることがない。高級な車を買ったら、今度は家が欲しくなる。立派な家を買ったら、今度は若さが欲しくなる。しかも途切れることのないこの欲望の連鎖、自分の中から自然に湧き出たものではない。高級な車が欲望の対象となったのは繰り返されるコマーシャルのせいかもしれないし、若さを崇拝する風潮だって現代社会によってすり込まれた迷信かもしれない。
おそらく数十年前ならば、永遠に続く欲望の連鎖に疑問を抱くこともなかった。男は車を欲しがるのが「当然」であり、家を欲しがるのが「自然」だった。欲望は他者によって作られる、ということを考えることはなかった。しかし現代、欲望は他者によって作られる、ということを誰もが知っている。そして、欲望の連鎖には終わりがないことも。さらに、「どうせ終わりのない欲望ならば、何を獲得しても『何かが足りない』という思いを抱き続けるのならば、最初から何も望まない方がよっぽどシンプルじゃないの?」とも感じている。
と、思いつくままに書いてみたが、こうして見てみるとどうもニヒリズムに近くなる。ただニヒリズムの場合、人生における最終的な目標(ラカンの言う対象aみたいなもの?)を諦めた結果、人生は完全なる無法地帯へと変わり、タブーはなくなり、何でもありの世界で遊びまくる、というような方向に進む。しかしいま言われている草食系の場合、最終的な目標なんてないなら最初から動かなくていいよね、という方向に進んでいるような気もする。ニヒリズムだと他人に迷惑かけまくり、その代わり何かが変わるかもしれない。草食系だと人畜無害、ただそこからは何も生まれない?
ちなみに、フランスから帰ってきたときにいちばん驚いたのが、「草食系」と「婚活」という言葉が生まれていたこと。そんな言葉、一年半前にはなかったのに。
Wednesday, February 17, 2010
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