『ビジョナリーカンパニー2』を読了。「凡庸」な会社がいかにして「偉大」な会社になったかを分析した本。データとしては面白いし、自分の会社を客観的に評価する基準としては非常に有効。しかし、あくまでも会社という組織を分析対象とした論考なので、個人として自分の人生をどのように選択するかとなると、また話は別。「偉大」な会社の一員になることがすべてではないので。
年度末ということもあり、自分も含めて人生の転換点にいる人たちが多い。そういう場に立ち合えるということがエキサイティングだし、お互いにヘルプしあいながら人脈を増やしていったり、ということも面白い。
なぜか、ラカンの象徴界と草食系について思いを巡らす。人間の欲望は尽きることがない。高級な車を買ったら、今度は家が欲しくなる。立派な家を買ったら、今度は若さが欲しくなる。しかも途切れることのないこの欲望の連鎖、自分の中から自然に湧き出たものではない。高級な車が欲望の対象となったのは繰り返されるコマーシャルのせいかもしれないし、若さを崇拝する風潮だって現代社会によってすり込まれた迷信かもしれない。
おそらく数十年前ならば、永遠に続く欲望の連鎖に疑問を抱くこともなかった。男は車を欲しがるのが「当然」であり、家を欲しがるのが「自然」だった。欲望は他者によって作られる、ということを考えることはなかった。しかし現代、欲望は他者によって作られる、ということを誰もが知っている。そして、欲望の連鎖には終わりがないことも。さらに、「どうせ終わりのない欲望ならば、何を獲得しても『何かが足りない』という思いを抱き続けるのならば、最初から何も望まない方がよっぽどシンプルじゃないの?」とも感じている。
と、思いつくままに書いてみたが、こうして見てみるとどうもニヒリズムに近くなる。ただニヒリズムの場合、人生における最終的な目標(ラカンの言う対象aみたいなもの?)を諦めた結果、人生は完全なる無法地帯へと変わり、タブーはなくなり、何でもありの世界で遊びまくる、というような方向に進む。しかしいま言われている草食系の場合、最終的な目標なんてないなら最初から動かなくていいよね、という方向に進んでいるような気もする。ニヒリズムだと他人に迷惑かけまくり、その代わり何かが変わるかもしれない。草食系だと人畜無害、ただそこからは何も生まれない?
ちなみに、フランスから帰ってきたときにいちばん驚いたのが、「草食系」と「婚活」という言葉が生まれていたこと。そんな言葉、一年半前にはなかったのに。
年度末ということもあり、自分も含めて人生の転換点にいる人たちが多い。そういう場に立ち合えるということがエキサイティングだし、お互いにヘルプしあいながら人脈を増やしていったり、ということも面白い。
なぜか、ラカンの象徴界と草食系について思いを巡らす。人間の欲望は尽きることがない。高級な車を買ったら、今度は家が欲しくなる。立派な家を買ったら、今度は若さが欲しくなる。しかも途切れることのないこの欲望の連鎖、自分の中から自然に湧き出たものではない。高級な車が欲望の対象となったのは繰り返されるコマーシャルのせいかもしれないし、若さを崇拝する風潮だって現代社会によってすり込まれた迷信かもしれない。
おそらく数十年前ならば、永遠に続く欲望の連鎖に疑問を抱くこともなかった。男は車を欲しがるのが「当然」であり、家を欲しがるのが「自然」だった。欲望は他者によって作られる、ということを考えることはなかった。しかし現代、欲望は他者によって作られる、ということを誰もが知っている。そして、欲望の連鎖には終わりがないことも。さらに、「どうせ終わりのない欲望ならば、何を獲得しても『何かが足りない』という思いを抱き続けるのならば、最初から何も望まない方がよっぽどシンプルじゃないの?」とも感じている。
と、思いつくままに書いてみたが、こうして見てみるとどうもニヒリズムに近くなる。ただニヒリズムの場合、人生における最終的な目標(ラカンの言う対象aみたいなもの?)を諦めた結果、人生は完全なる無法地帯へと変わり、タブーはなくなり、何でもありの世界で遊びまくる、というような方向に進む。しかしいま言われている草食系の場合、最終的な目標なんてないなら最初から動かなくていいよね、という方向に進んでいるような気もする。ニヒリズムだと他人に迷惑かけまくり、その代わり何かが変わるかもしれない。草食系だと人畜無害、ただそこからは何も生まれない?
ちなみに、フランスから帰ってきたときにいちばん驚いたのが、「草食系」と「婚活」という言葉が生まれていたこと。そんな言葉、一年半前にはなかったのに。
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