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Monday, March 29, 2010

文学

ユスナールの『ハドリアヌス帝の回想』を購入。久々の文学作品。結局ここに戻ってくる。文学は自分の故郷であり、これまで心血を注いできた場所。形は変われども、ここから離れてはいけないと思う。たぶん、ここから離れたら自分自身が大きく損なわれる。(すでに少しずつ損なわれ始めている。)

この五年間で最も濃かった時期はパリ留学時代で、その頃の自分を完全にフォローしていたのは一人しかいない。そのことに気付いて、そうかと思い、哀しくなる。

昔の生徒から勉強の相談メール。明日の午前中、自宅のそばで会うことに。彼にもがんばって欲しい。なんだか、こういうポジションが性に合っている。自分としてはいちばん楽。

近所のジュンク堂でいろいろと本を物色。アルトー後期集成の第三部がようやく出ていた。予定から何年遅れたんだろう。流石にもう買う気にはならない。フロベールの『感情教育』の新訳も出ていた。読みたい本としてはムージルの『特性のない男』。二十世紀の三大小説のひとつ(残りはプルーストとジョイス)で、未完の大作。

プロとして文学をやっていくのは辛いご時世だけど、文学そのものの力は衰えることはない。社会の一員として何を行おうとも、どんな大きな仕事をしようとも、最終的には自分は一人の人間としていかに生きるのか、という問題に突き当たる。自分の核を形成する哲学が必要であり、哲学を育成する知性が必要であり、知性を鍛錬する良質の刺激が必要である。知性も筋肉と同じで、訓練しないと衰えていく。哲学的内省の時間をいかにしてとるか、ということを考えていかないと、おそらく大きな後悔をすることになる。

十年の時を経て、ようやく文学のアマチュア(愛好者)に戻れたのかもしれない、と思う。

Wednesday, January 6, 2010

タラユマラ

Antoine d'Agataという写真家がいる。マルセイユに生まれ、世界中を放浪した後、ニューヨークで写真家になったアーティスト。現在はマグナムの準会員。身体をテーマにした作品は、フランシス・ベーコンの絵画のような印象もあり、同時になぜかペドロ・コスタのことも思い起こさせる。

Hambourg, 2000

彼が2005年に発表した「MANIFESTE」は、アントナン・アルトーの『タラユマラ』の次の一節を引用している。


C'est comme le squelette du devant qui revient, m'ont dit les Tarahumaras, du RITE SOMBRE; LA NUIT QUI MARCHE SUR LA NUIT.

「それはまるで、帰還する骸骨のようなもの」とタラユマラ族は私に言った。「闇の儀式、夜の上を歩む夜からの帰還・・・」


日本の文学界でアルトーの話をすると、たいていデリダやドゥルーズと絡めた上で、言語表象の臨界や身体性といった方向に話題が逸れていく。フランスのインテリとアルトーの話をすると、「あぁ、若い頃はよく読んだよ。彼のポエジーとパッションは最高だよね」という反応が返ってくる。アルトーを、アルトーそのものとして捉えているのである。

作品のポエジーを殺してしまうような分析には魅力を感じない。ポエジーとは、深夜のバーで酒を飲んでいるときに感じる焦燥感とかすかな甘みであり、文学とはその感度を極限まで高めることである。深夜のマレ地区でブルガリア人とビールを飲んでいたとき、フッと世界が遊離して見えた。現実の間隙に指を差し込む、そういった感性を研ぎ澄ますこと。

リンク : Antoine d'Agata

Wednesday, December 30, 2009

人文業界

ここに来て、ようやく文学や哲学を楽しめるようになってきた。これまで、文学を専門としていたときには、読書を純粋に楽しむことなどできなかった。

人文系の業界も、なかなか厳しい状況にある。身も蓋もない言い方をすれば、人文系の勉強をいくらしたところで、食っていけないのだ。業界自体が収縮傾向にある。当然、ポストも限られてくる。限られたポストを巡って熾烈な争いが繰り広げられる。いかにしてポイントを稼ぐか、ということが研究の主眼になってくる。

専任の職を得られる者は、よほどの知力と運に恵まれた者だけである。非常勤でも収入が得られれば御の字。ただ雇用形態が不安定なため、人生設計は立てづらくなる。それではなぜ業界の外に出ないのか。純粋に自分の研究が好きだから、ということもあるだろう。自分の研究は人類の未来にとって必要なはずだ、という確信を持っているのかもしれない。あるいは、「いまさらもう遅いよ」、というあきらめの境地にいるのかもしれない。

心血を注いで書いた論文の読者は多くても数百人、誰かから感謝されるわけでもなく、お金になるわけでもない。そのような状況の中で、一体どのようにして研究のモチベーションを保っていけばいいのか。生活が成り立たないという現実を前にして、「自分が好きだから」や「人類に対するささやかな貢献」のみを支えに大学に残り続けるのは、あまりにもつらいのではないか。

まず一つ。惰性で大学に残っている人は、いちど大学の外に出てみてもいいのではないか。研究者が思っているほど、「外の世界」は狭くもないし冷たくもない。足で情報を稼ぎ、労働市場のルールを把握した上で適切なアウトプットを行えば、けっこう受け入れてもらえる。

二つ目。有能な研究者が食っていけるシステムを構築しなければならない。厳しい現状にあるとはいえ、人文系の研究というのは世の中に絶対に必要なものだから。

一人の人間が生活を営んでいく上で、ビジネス書だけでは解決することのできない哲学的な問題にぶち当たることは間々ある。そのようなとき、たとえ原書を直に読まなかったとしても、間接的な形で、例えばカントやニーチェやサルトルの知に救われるということはありえる。外国の哲学書を正確に訳せる人、難解な哲学書を解説してくれる人、時代に合わせて解釈してくれる人というのは不可欠であり、そういった人を育成する安定したシステムというのもまた、必要になってくる。

経済活動の主体としてではなく、悩みながらも充実した人生を送ろうとする個人として人間を捉えるならば、そしてそのような人間の集合として社会を捉えるならば、人文研究を行う機関をキープしておくことも社会的に有用なことのように思われる。

Tuesday, December 29, 2009

文学・哲学

サルトルの『自由への道』第一部、「分別ざかり」を読了。最近、ようやく人文系の本が読めるようになってきた。パリから帰ってきたばかりの頃は、気ばかりあせってビジネス書しか読めなかったので。

ヨーロッパのアカデミズムに飛び込んでみて、自分が「哲学学者」には向いていないことを痛感した。ラテン語やギリシア語を幼少期から学び、カントやベルグソンを自分たちの文化として捉えている彼らにかなうわけがない。そもそも、例えばアルトー研究に生涯を費やし、自分たちのやっていることは人類に対する貢献なんだ、ということを信じきっている彼らの一員になるモチベーションがない。

プロとしてやっていく気はないが、それでも文学や哲学は必要だと思う。いまでも週一くらいのペースでフランス文学系の勉強会を開いているし、そこで気付かされることも多い。「これをやったからこういう得がある」というものでもないが、それでも面白さを感じられる、というのは大切だと思う。

文学や哲学は新しい世界を開示してくれる。しかし、それではニーチェを読破したら悟りの境地にたどり着けるのか、と言ったら、そんなものでもない。悩みや苦しみがなくなることはない。「それでも」、と僕は思うのだが、ニーチェを読んだことで得られる「何か」、というのはあると思う。

大江健三郎がどこかで言っていた。生きているかぎり問題が解決することはない。しかし小説を書くことで、自分が抱える雑多な問題がいくつかの点に結集し、星のように輝きはじめる。布置された星々は全体としてひとつの星座を形づくり、それは自分の人生そのものである。

デリダによれば「読むこと」は「書くこと」である。ひとは読書を通じて、「与えられた物語」を「自分の物語」として書き直していく。文学や哲学を読むことで、自分の生が星座となって表れることもあるのかもしれない。

Monday, December 28, 2009

2009

今年もそろそろお終い。一月から七月はパリ、七月から十二月は東京という、二都市で過ごした一年。途中でモードを切り替えるのが大変だった。

パリには去年の秋からいたので、フランスに対するカルチャーショックはすでに消えていた。一月からは大学もストに入り、割りと淡々とした日々。一緒に住んでいたムッシュと遠足に行ったり、アパートが水没したので一日がかりで掃除をしたり、六月にはモロッコへの一人旅も。このままアフリカから出られないかも、と思うことも何回かあったが、なんとか無事生還。パリ祭を堪能して、その翌日、七月十五日に帰国。

日本への帰国後、少し休養を入れるべきだったのかもしれない。日本に慣れる間もなく、いきなりフルで活動したので、そのギャップを埋めるのにけっこう苦労した。あるいは外人で暮らすということと、ネイティブで暮らすということの違いなのかもしれない。いま頃になって、パリのことを良く思い出す。

Invalidesの、長くてベコベコの動く歩道を足早に駆け抜ける。左側にはEmausの巨大なポスター。RER Cの改札をNavigoで通過し、右側のパン屋を眺めながら左側のエスカレーターでホームへ。ホームの端まで歩き、腰くらいの高さのベンチにもたれかかると、左上には旧式の掲示板。パタパタと表示が変わり、SARAかVICKが来たら電車に乗り込む。二階の座席に上がり、ドカっと腰をおろし、足を投げ出して窓の外を眺める。セーヌが右向きに流れていく。Invalides、Pont de l'Alma, Champ de Mars、やがて自由の女神が見える。そしてJavel。僕が降りる駅。

今でも、自分のドッペルゲンガーが毎日RER Cを利用しているんじゃないかと思う。(SNCFのストの日を除いて。)

パリは寒くて乾燥していた。日本から持っていったコートではとても耐え切れなかったので、十一月のある日、St. MichealのブティックでG-Star Rawの厚手のコートを買った。重さが2~3キロもある、防弾チョッキのような素材の、日本では売っていないやつ。-12度まで気温が下がったある日、そのコートを着てJavelまで歩いた。たしかに顔は冷気で痛かったけれど、これも悪くないよな、と思った。メトロの階段では、アラブ系の女性が物乞いをしていた。

いま、このコートを着て東京を歩いている。たしかに風を通さない、暖かいことは暖かいけれど、どこか違和感を感じる。首筋がごわごわする、肌が汗ばむ。文化圏の差異は、こういう所にあらわれるんだと思う。


「わたしは何でもない、何になることもないだろう、何でもないことを望むことはできない」
フェルナンド・ペソア


久しぶりに大学に行き、教授の研究室で雑談した。パリに行く前よりも距離が縮まったような気がした。僕がアカデミズムを去るから、住む世界がすでに違うから、ということもあるだろう。だが、おそらくそれだけではない。お互いにあのパリという街を体験した、パリという経験を肌に刻み込んできた、そこにはある種の連帯感があったように思う。その後、他の教授も研究室に乱入してきて、色々と話も盛り上がったのだが、我々の真ん中にはパリがあった。

アパートに着く。暗証番号を押しドアのロックを解除。壁に埋め込まれた鍵穴にキーを差し込み、二つ目のドアを開き、エレベーターに乗り込む。2em étage。エレベーターが開き、真っ暗な廊下の明かりをつけ、一つ角を曲がり、ムッシュ宅のドア。上部の鍵穴に鍵を差し込み、右に二回転、下部の鍵穴にも鍵を差し込み、ドアを手前に引っ張りながら、力強く右に一回転。

記憶が徐々に抜け落ちていく。パリに住んでいた時分から、やがてこの生活を懐かしむことがあるだろう、そして少しずつ抜け落ちていく記憶に悲しみを感じるだろう、と思っていた。事実、もはやムッシュ宅のドアノブの形を思い出すことができない。

先日、友達と十数年ぶりに母校の中・高に行った。その日は日曜日だったので、校舎には誰もいなかった。外から食堂を眺め、校庭を一望し、ガラス越しに柔道場を見物した。僕らの頃とは畳の色が変わっていた。

日本に帰国した直後、十数年ぶりに柔道部の仲間と飲み、十数年ぶりに社会科の先生と話した。おかしなものだな、と思う。いちばん遠いところから戻ってきたら、自分の過去が待っていた。


「お菓子のかけらの混じったそのひと口のお茶が口の裏にふれたとたんに、私は自分の内部で異常なことが進行しつつあるのに気づいて、びくっとした。素晴らしい快感、孤立した、原因不明の快感が、私のうちにはいりこんでいたのだ。」
マルセル・プルースト


『失われた時を求めて』のキー概念に、無意識的記憶(réminiscence)というものがある。何気ない刺激が自分の過去を一気に想起させること。ふと口にしたマドレーヌが、それまで意識することのなかった幼年時の記憶を開花させ、長大な物語をつむぎだしたように。

ベルグソンの言う「純粋記憶」ではないが、「いまここにいる自分」が「それまで生きてきた自分」も内包するのだとしたら、年を重ねるにつれて「いまの自分」の深みは増していく。『失われた時を求めて』の語り手は、「物語を書く」という現在を生き、同時に物語のなかの過去を生きた。過去を現在と同じ濃度で味わう、それは新しい価値を生み続けようとする近代の世界観とは相容れないが、ひとつの生き方ではある。

先日、中東の考古学を専門とする研究者と二人で飲みに行った。これまでやってきた文学や哲学を、むりに引き離そうとする必要はないのかもしれない。

Sunday, December 27, 2009

『自由への道』

電車の中でマリア・カラスの「トスカ」を聴きながらサルトルの『自由への道』第一部、「分別ざかり」を読む。久しぶりに小説を楽しむ。先生の今年の労作に感動。

この小説の主人公、マチウの姿に部分的に自分をダブらせる。34才、かつては冒険を追い求め、しかし現在は高校の哲学教師。完全に自由であることを願い、何ものにも拘束(engager)されたくないがために、何ものにもコミットしてこなかった男。ブルジョワを軽蔑しながらもブルジョワ的な生活を送り、現実から目をそむけ、自己欺瞞の中で責任を回避し続けてきた、しかしいいかげんに「分別」を覚えなければならない男。

『嘔吐』のロカンタンもそうだが、冒険に満ちた青春を送りながらも、結局は平凡な日常に落ち着く、そこに漂う一抹の焦燥感と、しかし「それでいいんだ」という納得の心持ちを描くのが、サルトルはうまい。「自由でなければならない」、という拘束からも自由であること。放浪にはロマンがあるが、責任がない分、現実に欠けている。

Friday, December 25, 2009

罪と罰

19世紀に発表されたドストエフスキーの『罪と罰』において、金貸しの老婆を殺した主人公のラスコーリニコフは、自分が犯した罪の重さに耐えられなくなって、自ら罰を求めた(自首した)。20世紀に発表されたカフカの『審判』において、何の前触れもなく捕らえられたヨーゼフK(だったかな?)は、自分に降りかかってきた罰の正当性を保つため、自らの過去に罪を求めるようになる。ミラン・クンデラがそんな分析をしていた。

『リア王』のなかでシェークスピアは「赤ん坊が生まれてすぐ泣くのは、この世に生を受けたことを悲しんでいるからだ」と書いたが、「生きること=罰」のような世界では、「罰」を正当化するための「罪」を捏造しないとやっていけない。生きることがつらい、なぜなら自分はあんなことをしたからだ、こんなことをしたからだ、自分が存在すること自体が罪だからだ、そしてその罪に見合うだけの罰をさらに求める、自分を痛めつける、苦しむことが自分の「罪滅ぼし」となり、存在意義となる。

Thursday, December 10, 2009

小説

小説を読まなくなって久しい。いちばん最後に読んだ小説は、パリからの帰国直前に読み終えたヘッセの『ガラス玉演戯』だろう。日本に戻ってきてからスタンダールの『パルムの僧院』を読み直そうとしたが、途中で挫折した。

純粋に忙しくて、小説を読んでいる時間がなかったということもある。だが、それだけではないような気もする。おそらく、小説よりも現実のほうが面白くなってきたのだ。ジュリアン・ソレルの冒険を頭の中で追走するよりも、自分の人生を身体をはって展開するほうがエキサイティングになったのだろう。

小説の楽しみは、主人公に自分自身を重ね合わせ、想像の中で冒険を追体験するところにある。(『ボヴァリー夫人』のように冒険のない小説もあるが、フロベールは僕の好みではない。ただ、フロベールが好きな人には興味がある。)だが現在、自分の現実の人生が十分に刺激的なので、あえて小説に冒険を求めようとは思わない。

人文系で言うならば、小説よりも哲学に魅力を感じる。最近だと、レヴィナスの『全体性と無限(Totalité et infini)』が面白かった。小説も哲学も、現実に対する新しい視点を読者に与える。ただ哲学のほうが、記述がより直接的なのだ。小説を読んでいると、どうもまどろっこしさを感じてしまう。

そう言えば、このところ漫画の『バガボンド』にハマリまくっている。基本的に漫画は買わないのだが、この作品は例外。漫画でしか伝えられない哲学がここにはある。そしてその哲学に、けっこうギリギリの状況のときに励まされたりもしてきた。物語が肌に合わない、論述のほうがいい、という訳でもないらしい。問題は情報の密度なのだろう。21世紀の読者にとって、19世紀や20世紀の小説は遅すぎる。

リンク:『バガボンド』の哲学的分析(by 内田樹氏)