DVDで久々にタルコフスキーの「ノスタルジア」を見る。圧倒的な映像美。すべてのMis en scèneが完璧で、これほどまでに美しい映画を私は知らない。
この映画も、やはり記憶をテーマにしている。過去は常に現在として生きられる。記憶のなかにまぎれ込んだ私にとって、その過去は過去であると同時に現在でもある。
過去は過ぎ去るものであるが、同時に留まるものでもある。高校時代の私はいまでも柔道場で汗を流し、パリ時代の私は今日もJavelからChamp de Marsまで往復する。「いま=ここ」にいる私が私のすべてではない。「かつて=そこ」にいた複数の私も含めて、その全体が私である。
ロウソクの火を消すことなく広場の温泉を横断することができたら人類は救われる、と信じるドメニコの仕事をアンドレイは引き継ぐ。ローマで人類の危機を訴えるドメニコは、演説の終了と共に自らの身体に火を放ち自害し、ロウソクを灯したままの温泉横断に成功したアンドレイもまた、広場の端に到着すると同時に息絶える。
彼は私であり、私は彼である。二十世紀の思想は主体と客体の二元論を克服したと言われるが、「私」という存在を複数の「私」の布置(constellation)としてとらえたところに、その成果があったように思う。
この映画も、やはり記憶をテーマにしている。過去は常に現在として生きられる。記憶のなかにまぎれ込んだ私にとって、その過去は過去であると同時に現在でもある。
過去は過ぎ去るものであるが、同時に留まるものでもある。高校時代の私はいまでも柔道場で汗を流し、パリ時代の私は今日もJavelからChamp de Marsまで往復する。「いま=ここ」にいる私が私のすべてではない。「かつて=そこ」にいた複数の私も含めて、その全体が私である。
ロウソクの火を消すことなく広場の温泉を横断することができたら人類は救われる、と信じるドメニコの仕事をアンドレイは引き継ぐ。ローマで人類の危機を訴えるドメニコは、演説の終了と共に自らの身体に火を放ち自害し、ロウソクを灯したままの温泉横断に成功したアンドレイもまた、広場の端に到着すると同時に息絶える。
彼は私であり、私は彼である。二十世紀の思想は主体と客体の二元論を克服したと言われるが、「私」という存在を複数の「私」の布置(constellation)としてとらえたところに、その成果があったように思う。
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