Friday, December 25, 2009

罪と罰

19世紀に発表されたドストエフスキーの『罪と罰』において、金貸しの老婆を殺した主人公のラスコーリニコフは、自分が犯した罪の重さに耐えられなくなって、自ら罰を求めた(自首した)。20世紀に発表されたカフカの『審判』において、何の前触れもなく捕らえられたヨーゼフK(だったかな?)は、自分に降りかかってきた罰の正当性を保つため、自らの過去に罪を求めるようになる。ミラン・クンデラがそんな分析をしていた。

『リア王』のなかでシェークスピアは「赤ん坊が生まれてすぐ泣くのは、この世に生を受けたことを悲しんでいるからだ」と書いたが、「生きること=罰」のような世界では、「罰」を正当化するための「罪」を捏造しないとやっていけない。生きることがつらい、なぜなら自分はあんなことをしたからだ、こんなことをしたからだ、自分が存在すること自体が罪だからだ、そしてその罪に見合うだけの罰をさらに求める、自分を痛めつける、苦しむことが自分の「罪滅ぼし」となり、存在意義となる。

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