Tuesday, December 29, 2009

文学・哲学

サルトルの『自由への道』第一部、「分別ざかり」を読了。最近、ようやく人文系の本が読めるようになってきた。パリから帰ってきたばかりの頃は、気ばかりあせってビジネス書しか読めなかったので。

ヨーロッパのアカデミズムに飛び込んでみて、自分が「哲学学者」には向いていないことを痛感した。ラテン語やギリシア語を幼少期から学び、カントやベルグソンを自分たちの文化として捉えている彼らにかなうわけがない。そもそも、例えばアルトー研究に生涯を費やし、自分たちのやっていることは人類に対する貢献なんだ、ということを信じきっている彼らの一員になるモチベーションがない。

プロとしてやっていく気はないが、それでも文学や哲学は必要だと思う。いまでも週一くらいのペースでフランス文学系の勉強会を開いているし、そこで気付かされることも多い。「これをやったからこういう得がある」というものでもないが、それでも面白さを感じられる、というのは大切だと思う。

文学や哲学は新しい世界を開示してくれる。しかし、それではニーチェを読破したら悟りの境地にたどり着けるのか、と言ったら、そんなものでもない。悩みや苦しみがなくなることはない。「それでも」、と僕は思うのだが、ニーチェを読んだことで得られる「何か」、というのはあると思う。

大江健三郎がどこかで言っていた。生きているかぎり問題が解決することはない。しかし小説を書くことで、自分が抱える雑多な問題がいくつかの点に結集し、星のように輝きはじめる。布置された星々は全体としてひとつの星座を形づくり、それは自分の人生そのものである。

デリダによれば「読むこと」は「書くこと」である。ひとは読書を通じて、「与えられた物語」を「自分の物語」として書き直していく。文学や哲学を読むことで、自分の生が星座となって表れることもあるのかもしれない。

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