Wednesday, December 30, 2009

人文業界

ここに来て、ようやく文学や哲学を楽しめるようになってきた。これまで、文学を専門としていたときには、読書を純粋に楽しむことなどできなかった。

人文系の業界も、なかなか厳しい状況にある。身も蓋もない言い方をすれば、人文系の勉強をいくらしたところで、食っていけないのだ。業界自体が収縮傾向にある。当然、ポストも限られてくる。限られたポストを巡って熾烈な争いが繰り広げられる。いかにしてポイントを稼ぐか、ということが研究の主眼になってくる。

専任の職を得られる者は、よほどの知力と運に恵まれた者だけである。非常勤でも収入が得られれば御の字。ただ雇用形態が不安定なため、人生設計は立てづらくなる。それではなぜ業界の外に出ないのか。純粋に自分の研究が好きだから、ということもあるだろう。自分の研究は人類の未来にとって必要なはずだ、という確信を持っているのかもしれない。あるいは、「いまさらもう遅いよ」、というあきらめの境地にいるのかもしれない。

心血を注いで書いた論文の読者は多くても数百人、誰かから感謝されるわけでもなく、お金になるわけでもない。そのような状況の中で、一体どのようにして研究のモチベーションを保っていけばいいのか。生活が成り立たないという現実を前にして、「自分が好きだから」や「人類に対するささやかな貢献」のみを支えに大学に残り続けるのは、あまりにもつらいのではないか。

まず一つ。惰性で大学に残っている人は、いちど大学の外に出てみてもいいのではないか。研究者が思っているほど、「外の世界」は狭くもないし冷たくもない。足で情報を稼ぎ、労働市場のルールを把握した上で適切なアウトプットを行えば、けっこう受け入れてもらえる。

二つ目。有能な研究者が食っていけるシステムを構築しなければならない。厳しい現状にあるとはいえ、人文系の研究というのは世の中に絶対に必要なものだから。

一人の人間が生活を営んでいく上で、ビジネス書だけでは解決することのできない哲学的な問題にぶち当たることは間々ある。そのようなとき、たとえ原書を直に読まなかったとしても、間接的な形で、例えばカントやニーチェやサルトルの知に救われるということはありえる。外国の哲学書を正確に訳せる人、難解な哲学書を解説してくれる人、時代に合わせて解釈してくれる人というのは不可欠であり、そういった人を育成する安定したシステムというのもまた、必要になってくる。

経済活動の主体としてではなく、悩みながらも充実した人生を送ろうとする個人として人間を捉えるならば、そしてそのような人間の集合として社会を捉えるならば、人文研究を行う機関をキープしておくことも社会的に有用なことのように思われる。

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