Tuesday, December 15, 2009

「存在の耐えられない軽さ」

映画版「存在の耐えられない軽さ」を見る。ミラン・クンデラの原作は日本語とフランス語で一回ずつ読んだことがあったし、映画を観るのもこれで二回目。だが、ここまで迫ってきたのはこれが初めて。

原作にかなり忠実な仕上がりではあるが、手触りは異なる。原作では、全知の語り手がトマーシュやテレザの心理を細かく分析していた。そこでは読者は物語の外部から登場人物の人生を眺める。しかし映画では、全知の語り手が消えている。その分プロットが際立ち、物語に入り込める。

問題は「存在の軽さの耐え難さ」であり、「重さ」への逃走(leave)である。ソ連軍の進行によってプラハの春が終わりを告げ、共産党政権の監視下に置かれたチェコに、なぜテレザは戻ったのか。自ら苦境へと飛び込もうとする心理の背後には、重荷を担うことでしか得ることのできない、ある種の安堵感への欲望があるのだろうか。

人生をドラマティックなものに仕立て上げようとする者にとって、「重さ」は必需品である。テレザは人生に真実を求めた。トマーシュは人生の甘い軽さを楽しんだ。これにより、テレザは「弱さ」の国に属し、トマーシュは「強さ」の国に属することになった。

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「どうしたの?」と、(トマーシュは)いった。
「何でもないわ」
「僕にどうしてほしいんだい」
「あなたに年とってほしいの。十歳年をとってほしいの。二十歳年をとってほしいの!」
それによって、あなたが弱くなってほしいといいたかった。私のように弱くなってほしいと。

『存在の耐えられない軽さ』、集英社文庫版、p.95

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