Antoine d'Agataという写真家がいる。マルセイユに生まれ、世界中を放浪した後、ニューヨークで写真家になったアーティスト。現在はマグナムの準会員。身体をテーマにした作品は、フランシス・ベーコンの絵画のような印象もあり、同時になぜかペドロ・コスタのことも思い起こさせる。
彼が2005年に発表した「MANIFESTE」は、アントナン・アルトーの『タラユマラ』の次の一節を引用している。
C'est comme le squelette du devant qui revient, m'ont dit les Tarahumaras, du RITE SOMBRE; LA NUIT QUI MARCHE SUR LA NUIT.
「それはまるで、帰還する骸骨のようなもの」とタラユマラ族は私に言った。「闇の儀式、夜の上を歩む夜からの帰還・・・」
日本の文学界でアルトーの話をすると、たいていデリダやドゥルーズと絡めた上で、言語表象の臨界や身体性といった方向に話題が逸れていく。フランスのインテリとアルトーの話をすると、「あぁ、若い頃はよく読んだよ。彼のポエジーとパッションは最高だよね」という反応が返ってくる。アルトーを、アルトーそのものとして捉えているのである。
作品のポエジーを殺してしまうような分析には魅力を感じない。ポエジーとは、深夜のバーで酒を飲んでいるときに感じる焦燥感とかすかな甘みであり、文学とはその感度を極限まで高めることである。深夜のマレ地区でブルガリア人とビールを飲んでいたとき、フッと世界が遊離して見えた。現実の間隙に指を差し込む、そういった感性を研ぎ澄ますこと。
リンク : Antoine d'Agata

No comments:
Post a Comment