Wednesday, July 20, 2011

ジャンケレビッチ

ジャンケレビッチの『死』とサルトルの『嘔吐』の新訳、ジョン・コルトレーンの「Love Supreme」を購入。『死』について。一人称の死と三人称の死との間にある断絶。あまりにも一般的な「彼」の死に対して、「私」の死は私にとって圧倒的。バンヴェニストの影響も垣間見られる。死の中に自己を投棄することによって良心が現出すると言ったのはハイデガーだったろうか。

Saturday, July 16, 2011

bar

久しぶりに大学の友達、後輩と飲む。三人ともフランス文学が専門、パリへの一年間の留学経験がある。8月からフランスに行くという後輩の送別会も兼ね、池袋のバーへ。

神秘主義について。絶対的な一者との合一が神秘主義の核心なのだとしたら、それはどこか仏教にも通じる。それは自己の消滅であり、目の前の日常に埋没する現在の私にとって一つの救いでもある。自己をどこまで棄てられるかということが人間の生の目的なのだろうか。

Tuesday, July 12, 2011

復活

一年ぶりの復活です。大江健三郎の言うように「書く=考える」ことだとしたら、最近の自分は日常の仕事にあまりにも忙殺され、考えることをしてこなかったから。もしそうであるならば、僕は再び書くことから考えることを始めていきたい。

この一年、様々なことがありました。仕事における自分のポジションも大きく変わったし、それに伴って生活スタイルも、こちらは多少ではあるが、変わった。

教育業界で働いているので、今後は教育関連の記事が多くなると思います。

職業観に基づいた進路選択について、自分自身の経験から。高校時代は常に正解のある問題と向き合ってきた。与えられた問題を正しく解くことで評価される、そんな世界にいた。そして僕はなんとなく理工学部に入学し、なんとなく大学生活を始めた。

ところが、大学に入って数回目の講義で気がついた。ここには自分が本当にしたいことは何もない、と。高校と違い、大学は自ら問題を発見していく場である。そこにはあらかじめ用意された答えなどない。そのような場に何の興味もないままに何となく存在していること、そして興味を抱いているような振りをすること、それは苦痛以外の何ものでもない。

そして僕は気づいた。僕が本当にやりたかったのは文学、アートであるということを。それまでも小説は好きだった。アートは好きだった。しかしそれらは僕にとってあくまでも趣味であり、本気で打ち込む仕事とは別にされるべきものだった。仕事にしてしまうことで文学やアートを嫌いになることを僕は恐れていた。

結局、僕は大学を辞め、文学を学ぶために新たに別の大学に入り直した。そして学ぶことの本当の楽しさを知った。そこには、自分が人生をかけてもいいと思えることに思い切り集中できる環境があった。僕はフランス語を学び、フランス文学を学び、パリに旅立った。

おそらく二十代の半ばまでは自分勝手に生きることと自己満足は矛盾しない。しかし三十を過ぎると、自分自身の人生にあるミッションを求めるようになる。社会貢献、どんな名称を付けようがそれはいい。自分がこの世界に存在する意味、理由を求めるようになる。

パリでできた最初の友達はレバノン人だった。9.11の影響もあってだろうか、レバノンの学生はフランスのビザを取得するのに半年かかる。(ちなみに日本人は二週間程度。)それほどの苦労をしてでもパリで化学を学びたい、と彼は言った。その理由は、一人前になって国に帰って国を復興させるため。

主体的に生きる人間が持つ個人的な憲法、ミッション・ステートメントと呼んでもいいが、僕のミッションは何なんだろうか?