Friday, July 16, 2010

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あまりに忙しいのでこのブログ、お終いにします。Face bookをメインにしていくので、友達は友達登録してください。

Monday, June 28, 2010

18

18日ぶりのオフです。ようやく新調したスーツを取りにいける。激動の日々。それなりに結果を出しつつも、まだまだ足りないところが多い。自己研鑽。プロとして。

Thursday, June 24, 2010

二週間

この二週間、毎日仕事してます。休みがない。

Wednesday, June 16, 2010

コンサルタント

職場は変わらないのですが会社が変わり、職種がコンサルタントになりました。結局、最初に自分がいちばん興味のあった職業についた。休日は減るけれど、その他の面でのプラスは大きいはず。

Monday, June 14, 2010

激動

激動の一日。評価してくれてる人はきちんと評価してくれていたのね、ということで、かなり異例の超スピード移動。これから背負っていく責任も大きくなるけれど、この状況の方がこちらとしてはやり易い。いよいよ本格的に超一流ビジネスパーソンにならなければならなくなってきた。ようやく、自分がいちばん落ち着けるポジションへ。

Thursday, June 10, 2010

ブラブラ

オフだったので午後からひとりで外出。渋谷に出てハンズでビジネスノートと名刺入れを購入、文化村で「Bright Star」というイギリスの恋愛映画を鑑賞、バスで六本木ヒルズに行きとんかつの和光で夕食、森美術館の「六本木クロッシング」という展覧会に行き、ヒルズの展望台から東京の夜景を眺めて帰宅。そんな休日。

Monday, June 7, 2010

日比谷バー

昨日の日比谷バーにて。一ヵ月半ぶりくらいに同僚と三人で飲みに行ったら、前回どこの席で何を飲んでいたのか、店員さんがしっかりと覚えていた。ちょっと感動。これがプロ。また行こうと思う。

DVDは結局フェリーニの「8 1/2」を買いました。

14

昨日は14時間労働。翌日がオフだったので夜、日比谷バーで同僚と少し飲んで帰宅。家について倒れていたら深夜に電話。休日返上で出勤とのこと。というわけで今日も仕事になりました。これから行ってきます。

帰りにタルコフスキーのDVDでも買おうと思う。人生はシーシュポス。人権なんて都市伝説。

プライベートという概念が消滅しつつある。この一ヶ月くらい、忙しすぎて友達とまったく会っていない。このまま孤独になっていくのは危険。色々連絡を取りたいけれど、そんな時間がない。

Sunday, June 6, 2010

...

kyoumoshigoto...

Thursday, June 3, 2010

リーガル

オフなので文化村のミュージアムに行く。風景画を集めた展覧会。Mise en sceneの重要性を再認識。全体の調和が美を生み出す。

その後、吉祥寺のリーガルショップで靴(ウィングチップ)と靴クリームを購入。それからパルコの地下の本屋で『プロフェッショナルマネージャー』(ハロルド・ジェニーン)と『あなたのチームは、機能してますか?』(パトリック・レンシオーニ)を購入。

現在、YouTubeでマイルズ・デイビスのWalkin'の映像を流している。

体調、少しずつだけど良くなってきている。とにかくとにかく潰れないように。

関西に出向している友達から電話があった。彼も大変らしい。

Sunday, May 30, 2010

ふぅ。。。

頭痛と腹痛で夜中も一時間ごとに目が覚めたり、そんな感じの日々でした。少しずつ良くなってきてるけど。それにしても、資本主義社会の中で生きていくということは、命がけでジャングルのなかを生き延びるのと同じことなのだ、と思う日々。いくら文明化されても、世界は原始のままなのだろう。

Monday, May 24, 2010

。。。。

今日はオフ。でも夜だけ出社。頭痛と腹痛で昨日は倒れそうになる。今日も14時まで倒れて寝てた。でも明日は試験。これから試験勉強しないといけない。頭痛はいまだ引かず。モノも食べられる状態ではない。でも試験勉強と出社。そんな感じ。留学中に倒れたときとどっちがきついんだろう?結構いい勝負のような気がする。連休というものが存在しないので本当にのんびりするということができない。

Thursday, May 20, 2010

オフ

オフだったので仕事のメールを送り、掃除をし、筋トレをし、吉祥寺の美容院に行き、井の頭公園を少し散歩し、本屋で本を買い、次のオフまでの食事を冷凍保存し、DVDで『気狂いピエロ』を流す。明日からまたガッツリ仕事。次のオフにはできれば友達と食事でもしたいもの。

仕事上のペルソナを脱ぐ暇がないというのはどこか危険な気がする。ただ、常に仕事のことを考えていなければならないという現状もある。生活はゲームなのだが、時々ゲームにも飽きる。底辺にあるのは虚しさ。ニヒリズムは克服されるべきなのだろうか?時は流れ続けるがそこに人生がない?

胃腸薬を飲んでもう寝よう。自由な時間ができると重荷の存在を再認識してしまう。

Wednesday, May 19, 2010

メモ

相変わらず恐ろしく忙しいです。という近況報告。

Sunday, May 16, 2010

パキスタン

23時、仕事からの帰り道、パキスタン人のオッサンに道を聞かれる。同じ方向だったので、10分くらい英語で会話をしながら道案内。

久々に英語を話す。思っていたよりも言葉が出てこない。このあいだ大学院に遊びに行った際、フランス人の講師と世間話をしたときにはフランス語がスラスラと出てきたのに。これが留学した国の言語とそうでない国の言語との差だろうか。

最近、仕事から帰ってきて寝るまでの約一時間、ジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』を流しっぱなしにしている。フランス語による脳のマッサージ。かなり聞き取れてしまうのが意外。一年前まではパリ大学で文学研究をしていたわけだから、当然と言えば当然か。

Wednesday, May 12, 2010

さて

さてさてさて、今日も仕事に行ってきます。頭の中の断片的な知識を有機的ネットワークとしてまとめあげ、柔軟なシステムを構築しなければ。

Monday, May 10, 2010

ハムレット

環境に適応するためにハムレットになろうと思い、気が付いたら本当の狂人になっていた、というのでは洒落にならない。

リルケの『マルテの手記』のなかに、長いあいだ仮面を付けすぎて本当の自分の顔を失った人の話が出てくるが、ペルソナを無理やり被ったことで、(あるいは被らざるをえない状況にいることで)、それまで自分が大切にしてきた「自分らしさ」を失ってしまうことだってあると思う。

構造主義的に言えば「主体」など幻想にすぎないのだが、それでも「素の私」は存在する。自分がいちばん自然でいられる場所、そんな自分に戻してくれる人というのは、本当に大切。

冷凍庫に入っているイクラの賞味期限、5/20だったよ。というメッセージを送ってみたり。それまでに食べられるといいけど。今日もフラフラです。

Saturday, May 8, 2010

アナイス

連休の終わり。一ヶ月間、無理やり自分を洗脳してきて、その洗脳が解けた感じ。少し世界と距離をとったほうがいいと思った。久しぶりに院生室に行ったり、もちろん一緒にワインを飲んだのがいちばん大きかったけれど、自分が本当に大切にしたいことを忘れてはいけないと思った。現実は現実として目の前に存在するけれど、表層的な現実をすべてだと思ってはいけない。多層な現実の深みとの通路をふさがないこと。例えばアートとか。

「自分自身と人間生活のあいだに芸術や空間や時間や歴史や哲学を置くのは、男性の苦痛の克服のしかただった。芸術は正気と、人間生活の恐怖や苦痛からの解放とのための処方箋だったのだ。」
『アナイス・ニンの日記』、pp.197-198


Friday, May 7, 2010

スペイン

連休の終わりに会えてよかった。なんか、うまく言えないけど、すごくほんとに。よかった。Merci.

Saturday, May 1, 2010

ランチ

社長とランチ。今後の展開や経営戦略について二時間くらいがっちり話す。いやはや、おもしれぇ。

Friday, April 23, 2010

本屋

休日なので本屋に。ビジネス系の本、コーチングとかコンサルとか、の本を数冊購入。フランスで身につけたロジカルシンキング等の力を最大限に発揮しつつ、新しい環境にさっさとアジャストして超一流ビジネスマンへ。数字に徹底的にこだわりつつ、同時に感性と品性をピカピカに磨く。

休み

貴重な休み。明日からまた超フル活動。今週はうれしいメールが来たのでうれしい。GW後半ね。

Sunday, April 18, 2010

バー

がっつり働き、がっつり儲ける。同僚と久々にまともなバーに寄って帰る。野郎二人で仕事談義。10万をケチるくらいなら、50万使って200万儲けるほうが健全。

Thursday, April 15, 2010

仕事

すげえ働き方をしてる。超ハイレベルの帝王学を習得してる感じ。がしがし進んでいこう。社会的意義もすさまじいし、燃える。

Tuesday, April 13, 2010

。。。

仕事で更新できてません。

Saturday, April 10, 2010

休日

一日12時間労働。今日は久々の休み。課題もあるので、しっかりとこなそう。消化すべきこともしっかりと消化しておきたいし。すべては、自分がもっとハッピーに生きるためです。

Wednesday, April 7, 2010

仕事

忙しくて更新する余裕がありません。しばらく休みもないけど、五月くらいに可能ならば友達にまとめて会いたい。

Saturday, April 3, 2010

サルトル

仕事をしていてギリギリのときにサルトルやオクタビオ・パスが出てきて自分を支えてくれる。(自分のなかの他者を顕在化することがポエジーだとか、私は一人の他者だとか。)これまで哲学や文学をやってきてよかった。明日は五時起きです。

。。。

仕事で忙しい。今日は数少ない休み。しばらく会ってない友達に会いたくなる。

Friday, April 2, 2010

簿記

簿記二級、受かってました。っていうか、合格率12%って。。。(平均は30-40%)

Wednesday, March 31, 2010

フリーダ

DVDで『フリーダ』を見る。苦痛と愛と表現。色々な人生があるものだと思う。

「苦しみがなくなるようにとか、苦しみが少なくなるようにとか求めないこと。そうではなく、苦しみによって損なわれないようにと求めること」

シモーヌ・ヴェイユ

バッハのマタイ受難曲(リヒテル指揮)を聴いている。何かあるときには常に聞くことにしている曲。

アルノー・デプレシャンのKings and Queensで、亡くなった夫との間にできた子供を巡って奮闘する女性がしゃっくりをあげて泣きじゃくる場面がある。本当に辛くて本当に悲しくて本当にどうしようもないとき、人間はあんなふうに泣くんだ、と思って非常なインパクトを受けた。と同時に、それはとても正しいことのようにも思えた。

「本当に真剣な哲学的問題はひとつしかない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否かを判断すること、それこそが哲学の根本的な問題に答えるということだ。」

アルベール・カミュ

ドストエフスキーの『悪霊』に出てくるニコライ・スタヴローギンは文学史上おそらく最も深刻な人物であり、個人的にも自分の存在の本質に関わる。彼にとって人生は完全なる遊びであり、そこにはいかなる価値もない。ニヒリズムに耐えられなくなったスタヴローギンは最後には自殺する。

自らの存在を死の中に投棄することで自由?威厳?良心?が到来する、と言ったのはハイデガーだっただろうか?リルケは胸の中に死を抱くことで誇りが生まれる、というようなことを言っていた。

自分の運命に出会う。

ヘッセの『荒野の狼』の最後に出てくるゲーテの笑いは、おそらくはニーチェの影響下から生じたものだろうが、それはフランス的精神にも通じるところがある。自分自身を笑い飛ばすこと、状況が深刻になればなるほど、その状況を嘲笑すること。アイロニーの精神が消えたところに、アゼラリスト(ラブレーが作り、クンデラが再発見した語。決して笑わない真面目な人々、という意味)が現れる。

フランス文学を起点として人生が大きく変わり、様々な人と出会い、いろいろな場所に行った。それだけでも感謝しなければならない。

ドイツ教養小説の偉大さ。ひとりの人間の人生は、ひとつの芸術作品である。

少し疲れている。のどに違和感を感じたので、念のため少し早めに風邪薬を服用。

Monday, March 29, 2010

文学

ユスナールの『ハドリアヌス帝の回想』を購入。久々の文学作品。結局ここに戻ってくる。文学は自分の故郷であり、これまで心血を注いできた場所。形は変われども、ここから離れてはいけないと思う。たぶん、ここから離れたら自分自身が大きく損なわれる。(すでに少しずつ損なわれ始めている。)

この五年間で最も濃かった時期はパリ留学時代で、その頃の自分を完全にフォローしていたのは一人しかいない。そのことに気付いて、そうかと思い、哀しくなる。

昔の生徒から勉強の相談メール。明日の午前中、自宅のそばで会うことに。彼にもがんばって欲しい。なんだか、こういうポジションが性に合っている。自分としてはいちばん楽。

近所のジュンク堂でいろいろと本を物色。アルトー後期集成の第三部がようやく出ていた。予定から何年遅れたんだろう。流石にもう買う気にはならない。フロベールの『感情教育』の新訳も出ていた。読みたい本としてはムージルの『特性のない男』。二十世紀の三大小説のひとつ(残りはプルーストとジョイス)で、未完の大作。

プロとして文学をやっていくのは辛いご時世だけど、文学そのものの力は衰えることはない。社会の一員として何を行おうとも、どんな大きな仕事をしようとも、最終的には自分は一人の人間としていかに生きるのか、という問題に突き当たる。自分の核を形成する哲学が必要であり、哲学を育成する知性が必要であり、知性を鍛錬する良質の刺激が必要である。知性も筋肉と同じで、訓練しないと衰えていく。哲学的内省の時間をいかにしてとるか、ということを考えていかないと、おそらく大きな後悔をすることになる。

十年の時を経て、ようやく文学のアマチュア(愛好者)に戻れたのかもしれない、と思う。

La vie

今後、日本語、英語、フランス語の三ヶ国語で書いていきます。基本的には日本語ですが。

La vie n’est pas si facile... Je commence à écrire en français. J’ai étudié la littérature française à M2 de l’université Paris, mais il n’y a pas d’occasions de parler en français au Japon, donc j’ai déjà oublié beaucoup de mots... Est-ce que je parle français ?

Je crois que le problème que je possède maintenant est la disparition de la motivation pour continuer à vivre. J’ai étudié la littérature pendant dix ans dans le monde académique, mais l'année dernière je l’ai quitté. Je commence à travailler (dans le domaine d’éducation). Je n’en suis pas sûr, cependant je sens que j’ai déjà perdu le but, autrement dit l’axe, ou peut-être la philosophie, non la dignité... qui a été essentielle pour être moi-même.

J’ai acheté aujourd’hui Mémoires d’Hadrien de Margurite Yourcenar. C’est un roman qu’un ami à moi français m’a recommandé quand j’étais à Paris. Selon lui, il existe tout dans cette livre. Je cherche vraiment, non aspire maintenant quelque chose... éthique ? je ne sais pas, qu’un jour j’ai absolument possédé et maintenant j’ai perdu. J’espère qu'il y en a un ici.

De temps en temps la mort m'attire, alors que je n’en pense pas toujours. Mais en tous cas je ne peux pas jouir la vie. Non, c’est pas vrai. Ce n’est qu’une timidité. Et le problème est que je ne trouve aucune source qui me fournit du pouvoir pour résister cette timidité. La corruption de l’étique, ou simplement le nihilisme. Je le déteste. Qu’est-ce que je peux faire, alors ?

La mort, lamor, l’amour... Une confession odicieuse... Pourquoi est-ce que je continue à vivre ? Je veux voir encore une fois ma dernière amie ? Le problème est simplement la solitude ? Je ne suis pas bonze. Transcendance de désirs ? Non, non, non... Merde !!!

OK. Je comprends. Comme le dit Lacan, à la fin d’une série de désirs, il n’existe que la mort. Je veux mourir. C’est tout. Je suis seul et j’ai peur donc je veux mourir. C’est tout. Parler de la mort facilement est une attitude très orgueil, mais j’en ai marre. Je veux mourir. AIDE-MOI!!!

Friday, March 26, 2010

ニーチェ

なんだかやたらと忙しい一週間。引越しやら家具の組み立てやら、日用品を買ったり家電を買いなおしたり、さらに講演会にも行ったし、インタビュー記事の校正や人との食事もあった(大学の後輩と知り合えて面白かったけど)。ここらで少し積極的休養をとらないと後に響きそう。

「人間は自由である。しかし自らを自由と信じない限り、もはや自由ではない」というようなことをカサノヴァが言っていた。

かつて、いかにカッコよくハッピーに生きるか、ということが自分のテーマだったことがある。そこら辺の基本は忘れてはいけないと思う。

いま、ニーチェの本が売れているらしい。しかし、ニーチェの中に何らかの答えを見いだそうとするならば、それはニーチェ自身を裏切ることとなる。ニーチェが言っているのは、現実を直視し、徹底的に自分の頭で考えること。彼は読者が自分の弟子になることを強く否定する。

二十歳くらいでニーチェと出会い、そこからずっとニーチェは私のそばにあった。現実を見つめ、たとえどんな状況にいようとも気高くあること、没落しようとも自らの道を進むこと、従うべき指針はみずからの手で作ること、世の中の善悪、道徳は歴史の中で形成された人為的な価値観であり、決して絶対的なものではないこと、そういったところに大きな影響を受けてきた。

ニーチェ曰く、人は誇り高い貴族でなければならない。しかし貴族の証しは過去の系譜によって決定されるのではない。現代の貴族は、みずからが作るみずからの未来によってその称号を手にする。自分がこれから成し遂げる行動、何を考え、何を行うか、それが自分自身を貴族へと変える。

ニーチェのツァラトゥストラの中に、こんなシーンがある。一匹の龍と一頭の獅子が対面している。龍のうろこには数千年もの歴史を背負った「汝成すべし(お前は~をしなければならない)」が刻み込まれている。対して獅子は「我欲す(私は~をしたい)」と吼えかかる。

龍に迎合するのではなく、獅子として生きること、そして現在の己を超越すること。いまの日本に、「我欲す」と吼えられる獅子がどれほどいるのだろうか?

人間は誰でも、獅子として生きる自由がある。獅子として吼えることができないのならば、あるいは吼えることすら忘れているのだとしたら、それは幻想の龍に知らないうちに絡めとられているからである。まずは、自分がいま一番したいことをやってみるといい。小さな欲望を叶えてあげることで、より大きな欲望が目を覚ます。ラカンが言うように、欲望に終わりはないのかもしれない。しかし欲望は生きるモチベーションとなる。

Tuesday, March 23, 2010

引越し二日目

足りないものがちょこちょこ出てくるので、落ち着くまでもう少し時間がかかりそう。(フォーク買うの忘れたから、スパゲティーを箸で食べた。)

今日は夕方からレジス・ドゥブレの講演会へ。「境界とはなにか」みたいなことがテーマだったが、正直言ってあまり面白くなかった。いったい何がしたいのだろう?という感じ。

帰宅途中、JRが完全運休に。15分で帰れるところが40分もかかる。なんだかぐったり。

哲学者というのも、なかなか難しい職業だな、と思う。「哲学とは何か?いったい世の中の役に立っているのだろうか?」というようなことを考え続けつつ、同時に飯を食っていくためにどこかで妥協しなければならないから。顧客の姿が見えにくいし、誰のためにやっているのかも分かりにくい。(ということは、金にもなりにくい。)少なくとも、僕には耐えられなかった。

日本においては、自分自身がハッピーになることをとことん目指していくことが、結果的にはみんなのハッピーにつながるような気がする。

そういえば開花宣言。花見がしたい。しばらく会ってない友達とかにも会ってみたい。

慣れない部屋にひとり。やはりJAVELのことを思い出す。思えばよくもまあ単身でパリに行ったものだ。

それからいくつか情報。いま調べたら、近所のスーパーMは24時間営業。すごく便利。(フランスじゃ考えられない。)あとRadikoはかなり快適。これでラジオ端末を買わなくてすむ。(Inter FMとJ-WAVEが聞ければラジオは十分。)
リンク:radiko

明日買うもの:
・洗剤
・まな板
・ナイフ
・フォーク
・スプーン
・シャワーカーテン
・ボディーシャンプー
・スピーカーの延長ケーブル
・パン

仕事が本格的に始まる前にいろいろさっさと済ませなければ。

こないだのフランコフォニーフェスティバル、映画監督のアルノー・デプレシャンと黒沢清との対談から。(まずは黒沢清のコメント。)近年のデプレシャンの映画は憎しみをテーマとして取り扱っている。普通、憎しみは殺人事件などといった形で表出する。憎しみによってナイフを、あるいはピストルを握り、憎まれた人は殺されることによって画面から消えていく。しかしデプレシャンの映画の場合、たとえ憎しみが充満したとしても憎しみによって人は死なない。憎しみを抱える側も、憎まれた側も、ともにそれぞれの感情を胸に抱きながら映画の最後まで画面上に残り続ける。

デプレシャン曰く、たしかに憎しみは卑小な感情だが、憎しみによって登場人物に深みを与えることもできる。愛が人を偉大にするのが通常の手法。しかし、憎しみによっても人間を掘り下げることはできる。

流石に少し疲れたので、ワインを飲んでいる。最寄り駅から神楽坂まで10分くらい、行きつけの店がグッと近くなる。これでマスターにもちょこちょこ会える。

このブログを見ている友達(数人を除いて誰が見てるか忘れた)、人生の真髄は遊ぶこと(by ニーチェ)、神楽坂で遊びましょう!(いまの時期は夜桜がきれいなはず。)

ネットがつながる

ようやくネットの工事が終わりました。こんどは光。かなりサクサク。

今日はこれから、日仏会館でレジス・ドゥブレの講演会。

引越し

引っ越しました。もうすぐネットの工事が来るので、それを待ってるところ。

新しく買った机を組み立てたり、荷物の搬送をしたり、ごそっと溜まってた書類を仕分けしたり、途中でフランスフェスティバルもあったし、そんなこんなでバタバタしてます。

場所は都心。立地的にはこれまでよりもかなり便利に。

パリに引っ越したばかりの頃を思い出した。

「寂しさとあきらめの混じり合ったこの感情を悲しみと名付けていいのか、私は迷う」みたいなことをサガンが言ってた。

Thursday, March 18, 2010

MEMO

事務作業で忙殺。

Tuesday, March 16, 2010

火鍋

友達と歌舞伎町の小肥羊で食事。中国火鍋というのを初めて食べました。漢方がたくさん入ってていかにも体に良さそうな感じ。しかもなかなか旨かった。羊の肉、今月はこれで二回目です。
リンク:小肥羊

インタビューの依頼がきたので、その準備をしたり、あとは事務的なこともいくつか。明日はそんな感じ。

関西旅行雑感

いろいろ、急速に忙しくなってきた。とりあえず関西旅行雑感。

友達と待ち合わせをして、初日は龍安寺と金閣寺へ。庭園のデザインの洗練さに感動。どこを見ても、すべてがかっちりと絵になる。フランスのヴェルサイユも面白かったけど、京都の庭園はさらにかっこいい。こういうのはいくら写真で見ても分からない。その場に行かなければ体験できない究極のアート。参った。



夜は道頓堀で串カツ。観光客だとなかなか入りにくいような店で、初めて串カツを食べました。安いしウマイ。しみじみ満足。

写真はMySpaceにアップしました。
リンク:MySpace

Saturday, March 13, 2010

京都・大阪

今朝、関西旅行から帰ってきました。いやー、面白かった!地元の友達にいろいろと案内してもらい、龍安寺に行ったり、金閣寺を見たり。道頓堀にも行ったし、串カツも食べたし、とにかく大満足です。深夜バス、一泊四日という良く分からないスケジュールだったけど、その分ゆっくりと色々まわれました。詳細はまた後日。友達に感謝です。

今日は昼から渋谷で人とランチ。後は引越しの見積もりを頼んだり。いくつかの業者からメールで見積もりが送られてきたけど、最終的には携帯に直接電話をかけてきたところに決めました。ユーザーとして、電話営業の威力を感じてちょっと感動。顧客サイドとしては、こちらからコンタクトをとらなくていい、その場で細かいところまで詰められる、値引き交渉もできる、というところがありがたい。電話営業も侮りがたい、ということを初めて感じました。

Wednesday, March 10, 2010

関西旅行

今日、関西に旅行に行きます。そこで、簡単な予習。行っときたい所をいくつかピックアップ。

1. 龍安寺(8:00-17:00、500円、京都駅から立命館大学前下車[50番] 徒歩7分)
2. 金閣寺(9:00-17:00、400円、龍安寺から徒歩1.7km)
3.清水寺(6:00-18:00、400円、京都駅から五条坂下車[206,100番] 徒歩10分)
4. 道頓堀(グリコの看板のあたり)

大体こんな感じです。あとは友達と会ったりもするので、割りとのんびりと、気楽に楽しく。あ、カメラも持っていこう。

Tuesday, March 9, 2010

誕生会

友達の誕生会で、羊を食べに代々木へ。羊肉専門レストラン、「ひつじや」。この店、最高です。羊のたたきや羊ステーキ、それからクスクスを注文したのですが、どれもおいしかった。(クスクスはモロッコの屋台で食べた味そっくり、本格的です。)また行こうと思う。
リンク:ひつじや

その後、飯田橋に移動していつもの店へ。ここも最高の店です。友達つれて、これからも行こう。(ここは仲のいい友達と行きたい店。リンクは載せません。)

それから、3/21は飯田橋の日仏学院でフランコフォニー・フェスティバル。アルノー・デプレシャンやレジス・ドゥブレといった、超大物が来日します。フランスに興味のある人は要チェック!
リンク:フランコフォニー・フェスティバル

Friday, March 5, 2010

Radio Spider

J-WaveのRadio SpiderをUstreamで見ている(聞いている)。毎回テーマを設けて、パーソナリティーのサッシャがゲストから話をひきだすインタビュー番組。今回のテーマは「音楽にデザインは必要か?」ゲストはアートディレクターのヒロ杉山氏。

曲がかかっている間の談笑の映像をライブで見られるのが、なかなか面白い。隙間の時間に談笑して場の雰囲気を和らげる能力、インタビューをする上で非常に重要なんだろう。それからインタビューでは、相手のことを十分調べた上で、相手が何を話したがっているか、どういう切り口で切り込んだら気持ちよく話してもらえるか、ということを考えるのも大切。

*J-Waveは東京のラジオステーション。Radio SpiderはJ-Waveの番組。Twitterと連動して視聴者と意見交換をしながら番組が進行していく。番組情報はMySpaceで発信。Ustreamは動画投稿サイト。YouTubeと違い、ライブ放送を発信することができる。(リンク:Ustream内Radio Spider

それから、先週のJ-Waveの放送(別番組)でショーン・K氏が言っていた印象的な言葉。曰く、「仕事をしていく上で8割は自分が仕事ができる環境作り、2割が自分の仕事。

近況。iPhoneのカバーを変えた。身近にあるちょっとした小物にお金をかけることで、日常がグッと豊かに。ネイルアートに支出する女性の気持ちがわかるような気がする。(リンク

あと来週、関西方面に旅行します。楽しみ!

Wednesday, March 3, 2010

『希望を捨てる勇気』

池田信夫の『希望を捨てる勇気』を読む。著者が一貫して訴えるのは、労働市場の流動化の重要性。以下、面白かったところを簡単にまとめる。

1. 日本では正社員を解雇するのが非常に難しい。そのため新卒を採用せず、すぐに解雇できる非正社員を雇うことでバッファを厚くし、既存正社員の既得権を守ろうとする。この問題を解決するには、労働市場の流動化が不可欠。

2. 終身雇用の時代には、若い頃は安月給で猛烈に働き、年をとってからその分を取りかえす(高収入や天下り)、というモデルが成り立った。しかし大企業ですら40年もつか分からない現在、がむしゃらに働ききった直後に首を切られることだってありうる。もはや終身雇用は成り立たない。実際、東大の人気職種は、かつては役所だったが、いまでは若い頃から高い給与が得られる外資である。

3. 終身雇用では、若い頃は会社に貯蓄し、年をとってから元を取り返すことが前提となる。そのため途中で会社を辞めると、非常に大きな損失を被ることになる。損をしないためにも、ひとつの組織に同調し続け、着実に出世していくことが求められるので、日本のサラリーマンは心理的に大きな重圧を抱えることになる。アメリカの研究者は、次のような調査結果を報告している。

・この会社をよくするために、言われたより良く働く:日54.3%、米74.3%
・私の価値観はこの会社の価値観とまったく同じだ:日19.3%、米41.5%
・いま知っていることを入社時に知っていたら、もう一度この会社を選ぶ:日23.3%、米69.1%

<感想>
納得できる部分が多かった。同年代の僕の友達でも、かつての終身雇用モデルでキャリアプランを立てている人なんてひとりもいない。

ここに取り上げた部分は、主に大企業に関する分析。中小やベンチャーだと、経営者の考えももう少しフレキシブルだと思う。実際、自分の会社を踏み台にして独立を促すような会社も存在する。(僕もそういう会社の社長と話したが、彼も労働市場の流動化の重要性を力説していた。)

年間自殺者数が三万人を越える現在、ストレスを抱えながら同じ組織に一生いようとするよりも、転職や起業できるだけの力を身につけ、どんな状況になっても自分で飯を食っていけるように努力する方がリスクヘッジとしては賢い。それにその方が人生も楽しい。

むかし作ったサイト

むかし作っていたサイトの画像をアップします。ブログなんてものが登場する遥か前、ネット上で自分の意見を発表するために、ひとは自分でサイトを構築しなければならなかった。僕もHTMLを一生懸命に覚え、目を充血させながらタグを打ち込んでいました。

1. 「exile」時代(2001年~2004年くらい?)




ピーター・リンドバーグの写真と、ネットで見つけたライセンスフリーの写真を加工。画面をテーブルで区切り、それぞれにフレームを設定。黒い帯の部分にある目次をクリックすると、写真部分がテキストページに変換されるような仕掛けです。

2. 「alter ego」時代(2004年~2008年くらい?)



ライセンスフリーの写真を加工し、ページの右端に背景として貼り付けたもの。ちなみに上記2つのサイト、両方ともフロントページは別にあり、フロントページのEnterボタンをクリックすると、サイズ指定の新しいウィンドウがポップアップされるようになっていました。(ここだけJava使用。)

あの頃は、自分のサイトをPRするためのポータルサイトというものがいくつもあって、そういうサイトに自分のサイトを登録してアクセス数を稼いでいた。僕は、アジア人による英語エッセイを集めたポータルサイト、RICE BOWL JOURNALに登録していていました。RBJ経由で遊びに来てくれた海外の読者とmailで意見交換をしたり、なかなか楽しかった。

あと、一度オーストラリアのヘラルドトリビューンのサイトで紹介されたこともあり、英語とネットがあれば世界とつながれるんだ、ということに感動した覚えもあります。

日本語サイトだと「侍魂」なんかが伝説となっていた時代。個人によるネット表現の草創期、なんだか懐かしい。

Monday, March 1, 2010

アンゲロプロス

早稲田松竹で公開中のテオ・アンゲロプロス、「シテール島への船出」と「こうのとり、たちずさんで」を見てきました。アンゲロプロスは僕がもっとも好きなギリシアの監督。「シテール島への船出」は以前ビデオで見たことがあったけれど、「こうのとり、たちずさんで」は初見。

どちらも国境や難民をテーマとした物語。ひさびさに重厚な映画を観ました。二本合わせて約5時間は、流石にちょっと疲れたけど。

上映は今週末まで。ちなみに、アンゲロプロスのお勧めは「霧の中の風景」と「ユリシーズの瞳」。特に前者は恐ろしく哀しくて美しい物語です。

リンク:
アンゲロプロス作品一覧
早稲田松竹

Sunday, February 28, 2010

簿記試験

簿記二級の試験、受けてきました。余裕で合格というプランを立てていたが、風邪で追い込みをかけられなかったこともあり、意外に苦戦。解答速報を見た限りでは、ぎりぎり大丈夫かな?という感じ。

それよりも驚いたのが、静かな空間に電卓の音だけが響き渡るという独特の雰囲気にちょっと飲まれてしまったこと。試験で飲まれるなんて、学生時代も含めて初めて。病み上がりということも影響したのかもしれないが、かなり新鮮な体験で面白かった。

合否は大して問題にしていないので、とりあえずこれで簿記はお終い。ビジネスマンとして財務諸表くらいは読めておきたい、ということから始めた簿記の勉強、その目的はすでに達成しているので。

帰りに本屋で内田樹の『日本辺境論』と池田信夫の『希望を捨てる勇気』を購入。二人とも大学教授&有名ブロガーで、両氏のブログは僕もRSS登録している。

『日本辺境論』、冒頭を少し読んでみたが、著者自身が言うようにほとんどが丸山真男あたりの焼き直し。全部どこかで聞いたことのある話なので、正直かなりつまらない。ブログで展開している、レヴィナスを援用した教育論や、身体を切り口にした『バガボンド』分析なんかは抜群に面白いのに。

池田氏の方もパラパラとめくってみたが、こちらはこれまでブログで書いてきたことを体系的にまとめた感じなのかな?なかなか面白そうです。

Saturday, February 27, 2010

映画情報

来週絶対に見なければならない映画:
テオ・アンゲロブロス特集@早稲田松竹
リンク

余裕があれば見たい映画:
加藤周一ドキュメンタリー@シネマアンジェリカ
リンク

これからの出版業界

風邪で外に出ることもできないので、少しばかりネットサーフィンをしてみる。生命保険のライフ・ネットの副社長、岩瀬氏が自著『生命保険のカラクリ』を期間限定で全文無料ダウンロードすると発表。さっそくダウンロードしてみる。(リンク

アメリカの経済学系の著作だと、ときどき全文ダウンロードもあったりするのだが、日本語での試みはこれが初めてではないだろうか。

今後、出版業界でもこうしたネット配信が加速していくのだろう。アマゾンのキンドルは印税を70%(これまでの倍)にすると言っているし、出版社と著者のパワーバランスが逆転するのは確実。(リンク

音楽はすでにネット購入が一般的になってきたが、書籍にもその波が押し寄せるということだろう。ただ書籍の場合、液晶画面だと目が疲れる、紙じゃないと書き込みができない、といった要望も残り続ける。そうすると、今後は高速両面印刷、新書や文庫サイズ可能のプリンタなんかが売れたりするのかもしれない。

あるいは逆に、気に入った本は業者に発注して、自分だけのオリジナル書籍を作る、なんて動きも出てくるのかもしれない。すでに大日本印刷はネット経由でオリジナル本を作る事業をスタートしている。(リンク)現在は写真集といった形態を想定しているようだが、将来的に、例えば大ヒットした小説をテーマにした装丁コンテスト、みたいなのをやっても面白いかもしれない。ネット経由で入手した小説(『恋空』でも『1Q84』でもなんでもいいが)に合わせて、読者が自分なりの装丁(文字のフォントからサイズ、表紙デザインまで)を創作、作品の世界観に最もマッチするものを投票で決める、とか。

なんにせよ、これまで本としてカテゴライズされてきたものが、これからは情報(文字の羅列)とモノ(デザインとか紙の質感とか)に二分され、それぞれに進化を遂げていくのかな、という気がしている。

インフル?

風邪、まだ完治せず。というかこれ、インフルエンザなのかも知れない。考えてみたら去年、パリで一週間寝込んだのも、一昨年38度の熱で院試を受けたのも、症状としてはインフルエンザだったような気がする。だとすると来年以降はワクチン接種とかも考えた方がいいのかもしれない。今日は外に出なければならないので、とりあえずマスクします。

Friday, February 26, 2010

風邪

風邪ひいて寝込んでました。明後日は試験。明日までに治ってないとシャレにならない。

Wednesday, February 24, 2010

花粉症?

花粉症を発症らしい。ちょっとキツイ。フランスにいたときは何ともなかったのに、日本は花粉が多すぎる。

昼、友達と井の頭公園を散策。週末に試験があるとはいえ、今週は少しのんびりモード。試験対策の追い込みと三月頭に提出する書類の作成、あとは食事会をいくつかセッティングすれば今週のノルマは達成。

Monday, February 22, 2010

シングルロック

神楽坂の行きつけのワインバーで親友と軽く飲む。仕事の話をしながら。シメがバーボンのシングルロックというのは学生時代から変わらない。将来、なんらかの形で一緒に仕事ができたらおもしれーな、と思う。

TOEIC結果

TOEICの結果が出ました。900点でした。リスニングが465点、リーディングが435点。もっと行くと思ってただけに残念。ただ、今回の目標最低点が900だったので、とりあえずそれはクリア。英語資格はとりあえずこれで打ち止め。

Sunday, February 21, 2010

ビジネス書

午後から仕事。ちょっと疲れが溜まっているが、好きな仕事なので苦ではない。来週末は資格試験。

三月の頭くらいまでに、これまでの仕事の総括と業界分析のレポートを作成しようと思っている。今後の仕事にも繋がることだし。どうせだから、エクセルでわりとカッツリと作ろう。

本屋で経済学、経営学系の本を眺める。今年のビジネス書No.1、『ブラックスワン』はやはり読んでおきたい。後は、『イノベーションのジレンマ』とか『ネクスト・マーケット』とか。特に『イノベーションのジレンマ』あたりは必読書。

Saturday, February 20, 2010

レジス・ドブレ

完全休養。軽く筋トレをしただけ。

去年お世話になったエージョントからインタビューの依頼を受ける。自分の活動を総括する意味でも、OKを出そうかと思っている。

本棚からレジス・ドブレの『一般メディオロジー講義』を取り出し、パラパラとめくる。ある思想が現実的な力に至るまでのメディア(媒体)を、キリスト教やマルクス主義を引き合いに出しながら論じた本。これ、言い換えると、キリスト教やマルクス主義をケーススタディとしたマーケティングの戦略分析、ということになると思う。たとえば、キリスト教は新しい顧客(信者)を獲得するために、どのようなブランド戦略を作成したのか。

キリストを大工の息子として受肉させ、いちど大衆のレベルにまで落としたことで、潜在顧客である一般人は自己投影しやすいイメージを獲得した。「あのキリストだって神の領域にまで達することができたんだ。それなら私だって!」という風に。構造的にはプロアクティブの広告と同じ。高感度の高いタレントをイメージモデルとして起用し、「いまではこんなに素敵にな彼女も、昔はあなたと同じようににきびで悩んでいた。わが社の製品を使うことで彼女は変わることができた。だからあなたもわが社の製品を使いなさい!」と宣伝する。キリスト教もまた、「いまでは神の領域にいるキリストも、昔はあなたと同じような平民だった。神に目覚めたからこんなにも偉大になれたんだ。だからあなたもキリスト教に入りなさい!」という物語を提供する。(あるいは、「あなたと同じように身持ちを崩したアウグスティヌスも、キリスト教への回心を経てこんなに立派に!」キリスト教はそんな物語の宝庫。)

キリスト教のここら辺の構造を非難したのがニーチェ。キリスト教は最初に「この世は苦しい、人生はつらい」という世界観を吹き込み、次に「何も考えずにキリスト教に入れば救われますよ」とそそのかすことで拡大してきた、というのが彼の見解。

(だからと言って、ニーチェの超人思想が完璧だとも思わない。あまりにも観念的だし、充足を得るには他者の存在が必要、という現実も無視している。また、フランスで敬虔なカトリック教徒とずっと暮らした経験から、キリスト教がもたらす力強さにもリスペクトを抱いている。)

とにかく『一般メディオロジー講義』、コトラーのマーケティング入門書と一緒に読んで、近いうちにまとめてブログに載せます。自分の仕事に生かせる部分が見つかるかもしれないし。

* キリストを一人の人間として描き出したニコス・カザンザキスの『キリスト 最後のこころみ』を読むと、悩める若者、キリストに感情移入せずにはいられなくなる。この感情移入こそがキリスト教普及の原動力であった、と考えることもできるのだろう。ただ、「人間としてのキリスト」という解釈は異端なのかもしれない。実際カザンザキスは、この本が原因でキリスト教を破門させられている。

Friday, February 19, 2010

『ビジョナリーカンパニー2』

『ビジョナリーカンパニー2』を読了。「凡庸」な会社がいかにして「偉大」な会社になったかを分析した本。データとしては面白いし、自分の会社を客観的に評価する基準としては非常に有効。しかし、あくまでも会社という組織を分析対象とした論考なので、個人として自分の人生をどのように選択するかとなると、また話は別。「偉大」な会社の一員になることがすべてではないので。

年度末ということもあり、自分も含めて人生の転換点にいる人たちが多い。そういう場に立ち合えるということがエキサイティングだし、お互いにヘルプしあいながら人脈を増やしていったり、ということも面白い。

なぜか、ラカンの象徴界と草食系について思いを巡らす。人間の欲望は尽きることがない。高級な車を買ったら、今度は家が欲しくなる。立派な家を買ったら、今度は若さが欲しくなる。しかも途切れることのないこの欲望の連鎖、自分の中から自然に湧き出たものではない。高級な車が欲望の対象となったのは繰り返されるコマーシャルのせいかもしれないし、若さを崇拝する風潮だって現代社会によってすり込まれた迷信かもしれない。

おそらく数十年前ならば、永遠に続く欲望の連鎖に疑問を抱くこともなかった。男は車を欲しがるのが「当然」であり、家を欲しがるのが「自然」だった。欲望は他者によって作られる、ということを考えることはなかった。しかし現代、欲望は他者によって作られる、ということを誰もが知っている。そして、欲望の連鎖には終わりがないことも。さらに、「どうせ終わりのない欲望ならば、何を獲得しても『何かが足りない』という思いを抱き続けるのならば、最初から何も望まない方がよっぽどシンプルじゃないの?」とも感じている。

と、思いつくままに書いてみたが、こうして見てみるとどうもニヒリズムに近くなる。ただニヒリズムの場合、人生における最終的な目標(ラカンの言う対象aみたいなもの?)を諦めた結果、人生は完全なる無法地帯へと変わり、タブーはなくなり、何でもありの世界で遊びまくる、というような方向に進む。しかしいま言われている草食系の場合、最終的な目標なんてないなら最初から動かなくていいよね、という方向に進んでいるような気もする。ニヒリズムだと他人に迷惑かけまくり、その代わり何かが変わるかもしれない。草食系だと人畜無害、ただそこからは何も生まれない?

ちなみに、フランスから帰ってきたときにいちばん驚いたのが、「草食系」と「婚活」という言葉が生まれていたこと。そんな言葉、一年半前にはなかったのに。

Wednesday, February 17, 2010

治った

風邪、一日で治った。というか治した。だらだら寝込んでる暇もなかったので。

Tuesday, February 16, 2010

風邪

風邪。熱。頭痛と筋肉痛。薬で熱を下げたからいいようなものの、まったく。。。今日はオフ、でも明日は仕事。試験も迫ってるし、寝込んでるヒマなどない。熱でうなされている間、パリのことを思い出してた。今回は日本なだけいい。

Sunday, February 14, 2010

クンデラ

ミラン・クンデラの『可笑しな愛』を読み返す。以前は単調でつまらない短編集だと思っていたが、実は非常に面白い作品だということを発見。それから、近々引っ越すことになったので、ぼちぼち物件探し。都内での移動なので、それほど大変ではないが。あとは、またもや神楽坂でフランス系アフリカ人の店員とフランス語で会話。久々にフランス語のネイティブと話したが、案外いけた。そんな感じの日々。三月以降の予定がはっきりしたので、またここからエンジンをかけ直す。

Saturday, February 13, 2010

自分で

友達に相談されていた案件はとりあえず一段落。全体的なアウトラインだけを伝えて、細かい作業は自分でやってもらうことに。

それにしても意外だったのが、プログラミングをやったことのない人にとってプログラミングができるということは、なんだかすごいことに思えるらしいということ。VBAも本格的に勉強してみようと思う。

『ビジョナリーカンパニー』を読んだり、簿記の勉強をしたり、あとはプログラミング系を調べたりしながら思った。起業するのも面白そう(というか、そのほうが手っ取り早い)。いますぐにと言うわけではないが、そういう視点はキープしておこう。これまでリスクなんて考えずに進んできたのだから、いまさらリスクを恐れるのも馬鹿らしい。もちろん、大胆さと無謀は全く違うので、しっかりと準備をしてからだが。

Friday, February 12, 2010

バンコク

二十歳の頃にひとりでバンコクに行って、深夜に空港に着いてタクシーで市内に入り、ホテルを探して裏道をウロウロとしていたのだがホテルはどこも満室だった。これじゃあ今夜は野宿かな、と思った瞬間、あぁ、なんて自由なんだ、ということに感動した。

ニコス・カザンザキスは次の墓碑銘と共に眠っている。「私は何も恐れない、何も望まない、私は自由だ。」

Thursday, February 11, 2010

イタリア人

神楽坂で知人数人と飲む。外国人男性が一人で店に入ってきたので自分たちのテーブルに誘ってみる。イタリア人で、期間限定で日本で働いているらしい。で、それから三時間くらい、英語でずーっとけっこうディープなディスカッション。自分の意見を言いつつ他のメンバーの通訳もしたので、疲れた。もうしばらくいいや。

Wednesday, February 10, 2010

『ビジョナリーカンパニー』

ビジネス書の古典、『ビジョナリーカンパニー』を読了。際立ったエリート企業18社を分析し、共通する特徴を抽出してまとめた本。非常に面白い。自分の会社と比較して読むと、さらに楽しめる。さっそく『ビジョナリーカンパニー2』も注文しました。

読んでおきたい本がいくつか溜まっている。まずはドラッカーの『マネジメント』。それからコトラーのマーケティングの入門書。マーケティングの本はすでに何冊か読んでいるが、一応コトラーも押さえておきたい。

Monday, February 8, 2010

Access

友達から相談された案件は、VBAを使わなくてもAccessの基本機能だけで対処できそう。ただ、本屋でプログラミングの本を色々と見ていて思ったのだが、ExcelのVBAくらいはできた方がいい。比較的時間が自由になるいまのうちに少し勉強してみようかとも思う。

ITも、勉強し始めると面白い。ただ、これにすべてを捧げることはできないな、とも思う。理工学部から文学へと転向したのも、結局はそれが原因だった。アルトーを介してラカンに触れ、シニフィアンの連鎖としての主体にニヒリズムを感じつつ、しかしそのニヒリズムをニーチェ的な力への意志に転換する。しかし、すべてを冷ややかに眺めるニコライ・スタヴローギンの視線によって、結局はニヒリズムへと回帰してしまう。そんな系譜の延長線上にパリ留学があった。とりあえずそこまでやったからこそ、文学に対してもある程度距離をおけるようになったし、プログラミングなどを面白く思えるようにもなったのだろう。

Sunday, February 7, 2010

VBA

友達とビリヤード。で、ひょんなことからVBA(エクセルやアクセスで使うプログラミング言語です。念のため)を勉強するはめに。入門書を買ってザッと読んでみたが、やばい、ちょっと面白そう。

プログラミング言語としてすでにHTMLとCSSは使える。二十代前半の頃にサイト作りにはまって、気が付いたら朝までプログラミングしてた、ということもよくあったので。当時は色彩の本を買ったりバウハウスのデザインを研究したりと、けっこうなエネルギーを注いでいた。内容は英語の(今で言う)ブログのようなもので、海外からもそこそこ反響があったりして面白かった。

とりあえず、二日でVBAの全体像を把握しなければならない。簿記の勉強やら仕事やら、あとは友達からフランス語のチェックなども頼まれているのに、となかなか忙しいが、どれも面白いので苦ではない。ただ、明日も五時起きだな。

Friday, February 5, 2010

二月

二月も五日が経過した。早い。一月の後半、朝の五時に起きて帰宅するのが夜の十時、というような生活を送っていたので、二月に入って少し時間に余裕ができてしまうと、とたんに物足りなさを感じる。まぁ、それでもやるべきことは色々とあるので、別にいいのだが。簿記の勉強をしたり、仕事の下準備をしたり、それから基礎体力をアップすべく少し体をいじめたりと、やっておきたいことは山積み。

iPhoneでFigaroとLiberation(両方ともフランスの新聞)をチェック。フランスでは、相変わらずストをやっているらしい。経済状態が厳しいときにストなんかやって、自分で自分の首を絞めているようなものだ、という気もしないでもない。昨年の大学ストのときのように、また極左が裏で動いているのかもしれない。

iPhoneでNew York Timesも確認。植物状態の人の脳をグラフィカルに表示することで、その人が考えていることが分かる技術が開発されたらしい。患者にYes、Noで答えられる質問をしてみる。すると、答えがYesのときとNoのときでは脳の活動する領域が異なる。ただ、まだ技術的に不十分な点もあるし、倫理的な問題も残っている、との内容。たとえば「あなたは死を望むか」というような質問を植物状態の人にしたとする。たとえ答えが「Yes」だったとしても、実はその後に「But...」が続くのかもしれない。ただ、脳の状態を見ただけではこの「But...」の続きが分からない。(リンク:Trace of Thought Is Found in ‘Vegetative’ Patient

そう言えば、パリの三越が閉店するらしい。僕がいた頃からすでに閑散としていたので、当然なのかもしれない。

そんな感じの日々。明日は朝から図書館にでも行って思いっきり勉強して、夕方から仕事。明後日は久々に友達とビリヤード。

Thursday, February 4, 2010

マネジメント力

パリ留学時代のムッシュは、「教師の役割は知識を教えることではなくてメソッド(方法)を教えることだ」、と言っていた。それは真実だと思う。メソッド、言い換えればマネジメント力。ある特定の目標を達成するために限られた資源を最も有効に活用すること。現状を分析し、目標とのギャップを認識し、そのギャップを埋めるための戦略を立て、それをアクションプランにまで落とし込むこと。さらには自分のメンタル面の特徴を把握し、自分が最も効率よく作業できる環境に自らを落としいれる、あるいはモチベーションを維持するために自己イメージを改変すること。

現在の日本においてこのようなマネジメント力を身に付ける最も手っ取り早い方法の一つが受験。事実、家庭教師で受験生を見ていたとき、過去問を解くたびに現状分析と今後の対策、さらにアクションプランと、その対策の効果を判断する基準を言わせていたら、わずかな時間で驚くほど成績が伸びた。

これは自戒の念もこめて言うのだが、逆に大学生、あるいは大学院生でも、マネジメント力のない者は具体的な成果を出せない。瑣末な知識の断片が頭の中に浮遊しているのだが、それを体系化し、ひとつの作品としてアウトプットするシステムが構築されていないので、ただのマニアになってしまう。しかも困ったことに、知識だけはあるので、自分は頭がいい、と勘違いしてしまうのである。

Sunday, January 31, 2010

TOEIC

TOEICを受けてきました。試験なんて久しぶり。想像以上に疲れた。とりあえず、実力は出せたと思うのでいいけれど。リーディングは15分前に解き終わり、リスニングはいくつか微妙な部分があった。目標は900点。これまでに解いてきた模試(『新TOEICテスト「直前」模試3回分』、アルク社)の結果、それから今日の手ごたえを合わせるに、予想点数は875~930位。

最近、時間があるときはMySpaceのブログに転記した「パリ留学記」ベスト版の校正をしている。久しぶりにパリ時代の記事を読み返し、あんなこともあったな、と思い返す日々。特に懐かしさは感じないが。

フランスで色々なことに気付かされた。ただそこで気付いたことは、それだけでは何の役にも立たない。身体に染み込ませ、自分の武器として使えるようにしなくてはならない。帰国して、世間というものに色々とぶつかって、自分のエッジや売り出し方を必死で考えた。フランスでの知が血となるには、そのプロセスが必要だったんだと思う。結局、自分が身体をはって身につけたものでないと使い物にならない。

Thursday, January 28, 2010

個人メディア

このブログ、MySpace、Twitterと、三つの個人メディアをもっている。どういう風に使い分けようか、と思っていたのだが、ようやく方針が決まった。

まずはTwitter。これは、ジャンルを問わずちょっとしたメモとして。iPhoneからも投稿できるので、そのときどきにふと思いついたことを簡単に残しておくことができる。

次にMySpace。これはオンライン上の名刺みたいなもの。現実世界で知り合った人に教えることで、相手の興味を引くことができるかもしれない。自分という商品を売り出すための広告という位置付けなので、ある程度の統一感、そして内容の充実が求められる。

例えば、MySpaceに付属したブログにはパリ留学記のベスト版を掲載。自分のエッジを際立たせ、読者の関心を呼び起こす仕掛けをつくる。さらにTwitterをMySpaceに同期。パリ留学終了後、現在の僕をモニターできるようにする。

最後にこのブログ。ここは、何でもありのいちばん自由な場所。MySpaceからもTwitterからもリンクを貼っていない独立した場所なので、好きなことを気楽に書くことができる。

ところでMySpace、プロフィールを英語で書いただけなのに、さっそく海外からコンタクトがありました。このレスポンスの早さが英語のいいところ。ポテンシャル読者の数が違うということだろうか。

Sunday, January 24, 2010

MySpace

MySpaceを作りました。今日の午前中はレイアウトを変えたり、パーツをいじったり。これで自分メディアが3つ、1)このブログ、2)Twitter、3)MySpaceになった。

それぞれの使い分けはこんな感じ。まずこのブログは、日本語を使ってちょっとまとまった文章を書くため。次にTwitterはメモ、ちょっとしたお知らせとして。最後にMySpaceは英語、フランス語用。海外の読者を念頭に情報を発信する。

このブログも、アクセスはそれなりに上がっているのだが、誰が見に来てくれているのか全く分からない。日本語で書いているのに、なぜかコメント欄の投稿は英語とフランス語だし。むかし、自分でHTMLを打って日本語・英語・フランス語のサイトを作っていたことがある。レスポンスは圧倒的に海外の方が良かった。MySpaceを通して、また海外の読者と交流できたら楽しいかも、と思う。

さて、これから仕事だ。そろそろ準備しないと。

(MySpace: http://www.myspace.com/tadafumi)

Saturday, January 23, 2010

ネットと世界貢献

MTVのサイト上で「Hope for Haiti Now」を視聴。ハイチ支援のためにアメリカで放送されているプログラムを、日本にいながらにしてリアルタイムで見られることに感動。

ネットの強さというのは、ここらへんにあるんだと思う。例えば今回のハイチ地震、Twitterで現地にいるアンカーウーマンの「つぶやき」をチェックし、MTV.comでアメリカのハイチ支援プログラムを視聴し、オンラインでユニセフに募金し、それをTwitterで報告する。遠いところで起きている事件をリアルタイムにフォローし、瞬時にアクションを起こす、それを可能にしてくれるのがネットの魅力だと思う。

「地球市民として具体的に何を考え、どんな行動をとっているか、という質問に答えられることこそが21世紀の教養人の資質である」、ということを大前研一が言っていた。(『「知の衰退」からいかに脱出するか?』)たしかに一理ある。ビル・ゲイツは慈善財団を設立し、ウォーレン・バフェットは資産の大部分を寄付した。日本でも、「社会起業家」という言葉はすでに一般的である。ビジネスを通して社会をより良くしていこう、と考えている人も数多い。

Twitterも、そういった文脈の中で捉えてみると非常に面白い。例えばCNNのアンカーウーマン、Amanpour氏のTwitterをフォローに入れておくと、日本のメディアでは絶対に流れないような情報を随時、確認することができる。もちろん英語が読めるのが大前提だが、最大140字ならばそれほどストレスもかからないだろう。それに、「自分も世界とつながっている、世界に対して直接アクションを起こし、同じ時間を生きる人々の役に立つことができる」と考えることで、自分自身が救われるということもあるのではないか。

ハイチ地震

CNNのLarry King LiveをiPhoneのPodCastで視聴。このところの話題はずっとハイチ関連。1月19日の放送では、ユニセフの職員やアメリカの有名人(スーザン・サランドン、スヌープ・ドッグ etc.)が番組に参加し、ハイチの現状や緊急募金を呼びかけていた。

アメリカのメディアによれば、いまのハイチの最大の問題は水。国土の46%でクリーンな水が確保できず、出所の分からない怪しげな水が高値で売られている状況にある。番組では、国連の職員が泥水をクリーンにする化学物質を紹介。泥水にその粉を入れ、しばらく置いておけば有害物質がすべて固まる。あとはタオルやシャツで水をこせば、飲み水として使用できる。費用は水1リットルあたり1セント。

番組は、今回の地震におけるTwitterの役割も紹介している。Twitterをはじめとするネットを駆使することで、自分もハイチのために積極的に行動できる、というもの。僕もユニセフ経由でさっそくハイチに募金をしました。

と、ここまで書いてTwitterのハイチ関連のページをサーチしてみる。MTVの「Hope for Haiti」が話題になっている。何だろうと思ってMTVを訪れてみたところ、なんとネット上でハイチ支援の番組を生放送している!司会はモーガン・フリーマン、スティーブン・スピルバーグが電話で視聴者と話し、マドンナがハイチのために歌い、クリントン元大統領が募金を呼びかけている。すごい!

リンク:MTV.com

<追記>
MTV JAPAN、CNNj、ナショナルジオグラフィックでも「Hope for Haiti Now」が放送されるようです。
日時:1/24 [日] 13:30 -, 1/25 [月] 21:00 -

それから「Hope for Haiti Now」で放送されたライブのCDが出ます。出演アーティストはマドンナ、ジャスティン・ティンバレイク、ボノ、ワイクリフ、Jay-Z etc. 非常に豪華。購入はiTunes.com/Haitiから、購入金は全額ハイチ支援へ回されるようです。

Thursday, January 21, 2010

Twitter

Twitter、再開しました。むかし一度作って、その時はいまいち面白さが分からなかったけれど、再挑戦です。iPhone経由でもどんどん投稿できるということで、今回は長続きしそう。

さっそく著名人を何人かフォローしてみる。オノ・ヨーコとか加藤登紀子さんとか。これ、どれだけ多くの人をフォローするか、ということで面白さが決まる気がする。日本語、英語、フランス語を問わずにいろいろフォローしてみよう。

Twitterリンク先:tadafumiaparis

Wednesday, January 20, 2010

ローリン・ヒル

ローリン・ヒルのMISEDUCATIONを繰り返し聴いている、久しぶりに。すごくいいよな、と思う。

飯田橋のラグタイムというジャズ喫茶で友達とお茶をしていて、店に流れるジャズを時々ポケーッと聴いていたのだが、ジャズもいいんだよな。吉祥寺のSOMETIMEにも久しく行っていない。

下はこないだ見つけたビデオ。タイトルはフランス語で「シルエットのそばで」。BGMは「ユリシーズの瞳」のサントラから。なかなか面白い。

Tuesday, January 19, 2010

スピノザ

『バガボンド』の最新刊を購入。相変わらず面白い。世界観がますますスピノザに近づいてきている。人間は万物である天の一部にすぎない。だから「私」というものにそれほどこだわる必要もない。あらゆる物事はあらかじめ決定されていて、それゆえに人間は圧倒的に自由である、というあたりなんかは、まさにスピノザ。

ということで、上野修の『スピノザの世界』(講談社現代新書)を読み直す。スピノザ、オリジナルはあまりにも難しいので、まずは入門書から。

パリ時代、スピノザの講演会に出席する直前にも、たしかこの本を読み返した。講演会の内容はこんな感じだった。19世紀の終わりから20世紀にかけて、ニーチェ、マルクス、フロイトの三人によって主体は解体された。しかし、すでに17世紀に主体の解体を唱えた人物がいた。それがスピノザである。彼は人間を万物である神の属性と捉え、デカルト的な「私」に対するアンチテーゼを打ち出した。

自分の未来がすべて現在の自分にかかっていると思うと、この一瞬があまりにも重くなる。物事はあらかじめ決定されている、未来はすでに決まっている、と考えることで現在の自分が限りなく自由になる、自分自身であることに集中できる、ということはあると思う。

「石がこの瞬間に全身全霊で石であるように、樹が全身全霊で樹であるように、全身全霊でただ斬ることの裡(うち)に在る、その点において儂(わし)以上の人間を初めて見た!!」
『バガボンド』32巻

有名な経営者(松下幸之助だったかな?)が、重要な局面では「それが自然であるかどうか」を基準として決定を下すと良い、と書いていた。「天」や「神」という言葉を出すと大げさになるが、物事の自然なあり様に耳をすます、ということは大切だと思う。

そういえば、かつて大江健三郎が断筆宣言をしたときに、「これからはスピノザだけを読んで生きて行きたい」というようなことを言っていた。僕にとってもスピノザは気になる存在であり続けそう。

Sunday, January 17, 2010

ハンドアウト

カフェにて、今週ひらくガイダンスの準備。全体の構成を考え、ハンドアウトに起こし、プレゼンのシミュレーションをする。なんだか、こういうことをやっているときがいちばん楽しい。ロジカルにアウトプットをする、という作業が純粋に好きなんだろうな、と思う。

今年のセンター試験の問題をチェック。国語の一問目の難しさが異常。テキストは岩井克人の「資本主義と『人間』」。いきなりフロイトを出してきて、『ヴェニスの商人』を軸にしながら資本主義について論考するなんて、どれだけの高校生が理解できたのだろうか。

今月末にTOEICを受けるので、『新TOEICテスト「直前」模試3回分』という問題集を解いてみる。制限時間ありで自己採点875点、制限時間なしだと960点。復習をしっかりとしてテクニックを身につければ、本番、950オーバーも狙えるかもしれない。

ここから二週間、また忙しくなる。TOEICと簿記二級の対策もこなさなければならない。自分との駆け引きが勝負の鍵。

打ち上げ

後輩たちの論文提出の打ち上げに参加(というか主催)。学生との食事は久々。頭がすでに仕事仕様にモデルチェンジしているので、ギャップを感じる。僕の論文提出が二年前、あれからまだ二年しか経っていないなんて、時間の濃度が濃すぎる。

積年の疲労+年末年始の激務により内臓がボロボロ。医者から薬をもらう。一ヶ月くらいで元気になるとのこと。ただ、疲労を感情凍結でやり過ごす期間が長かったので、元気というのがどういうものだかもう忘れた。

Wednesday, January 13, 2010

ラジオ

夕方、一時間ほど時間が空いたので東京都現代美術館で開催されている「レベッカ・ホルン展」に行った。現代アートの展覧会に行くのも久々。うーん、面白いことは面白いけど、ただそれだけ。特に感興はない。表象文化系の論文の題材としてはもってこいなのかもしれないけれど、感動という点からするとイマイチ。

移動時間、iPhoneでFrance Culture(フランスのラジオ局)を聞く。行きの電車の内容は、アメリカの死刑制度を題材に、宗教的信仰と魂の信仰の違いに関してオペラの舞台監督が語る、というもの。帰りの電車は、フランス映画の海外市場進出に関するシンポジウム。

このところ、移動時間を使ってアメリカのCNNとABC、イギリスのBBC、フランスのRadio FranceとFrance Cultureを代わる代わる聞いている。そこで発見したこと。ビジネスや政治といった、非常に現実的でシリアスな問題を語るのには英語、アートや人生といった、極度にプライベートなことを語るのにはフランス語がよく似合う。

Monday, January 11, 2010

徒然

朝から大学で勉強会。午後から湯島天神へ、ことし受験の生徒のためにお守りを買う。睡眠不足のため少々フラフラ。iPhoneで久々にフランス語のラジオを聞きつつ帰宅、そのまま倒れるように眠る。

大学のエレベーターホールで教授に出会う。新年の挨拶。やはり、もはや利害関係のない間がらなので非常に気楽、立ち話をして気持ちよく分かれる。ようやくいまの大学が母校になってきた。

それにしても、久々に訪れた院生室が汚い。僕がいた頃は、毎朝早めに到着してぞうきんがけをしていたのに、と思わないでもないが、そういう小舅的なことは言わない。ぞうきんで机とキーボードを磨いてから帰る。ただ、「誰の仕事というわけではないけれど、誰かがやらなければならないこと」(協同スペースの清掃とか)をやる人が一定数いないと、組織は荒れる。

Sunday, January 10, 2010

「ユリシーズの瞳」

好きな映画を羅列してみる。アメリカ系で言うと70年代のアル・パチーノ、「The Godfather」「Dog Day Afternoon」「Serpico」あたり。特に「Dog Day Afternoon」で、ゲイの恋人に電話をした直後、疲れ切ったソニーが手で顔を覆いながら一点を見つめるシーン、それから「Serpico」のラストシーン、病院のベッドでセルピコが泣くシーンが好き。ただ、最近はあまり見たいとも思わない。

ヨーロッパ系だとテオ・アンゲロブロスの「ユリシーズの瞳」、アンドレイ・タルコフスキーの「ノスタルジア」、フェデリコ・フェリーニの「8 1/2」あたり。こちらは、いまでも常に手元に置いておきたい作品たち。

この三本を貫く特徴。まず、主人公が中年男性。次に、過去と現在の交差、あるいは幻想による現実の侵食。そして、非日常、あるいは旅。最後に、どこかしら死が付きまとう。

特に「ユリシーズの瞳」は圧倒的。この映画を見続けていれば、それほど大きく道を外れることはないような気さえする。



映画ではないが、アントニオ・タブッキの『レクイエム』という小説に、非常に愛着を感じている。そう言えばこの小説も、やはり上記3本の映画の特徴を備えている。憧れの大人を提示してくれる、希少な作品たち。

Saturday, January 9, 2010

JAVEL

今日はオフ。明日は仕事、明後日は勉強会、その他、試験勉強等々。一日くらい完全オフを取らないと疲れる。

アルトーの論文を読んでいるせいか、社会に生きていく上で避けることのできないドロドロが、皮膚を通して内臓を侵しているような感覚がする。ヘドロのようなものに自分の体が汚されている感じ。

ただある人いわく、僕の場合どこかで常に一歩引いているので、ドロドロの環境でも割り切って仕事を遂行していくことができるだろうとのこと。一週間の内に二人から同じようなことを言われた。

おそらく、自分が微妙に分裂しているからだと思う。観察主体としての自分と、観察対象としての自分に「私」が分裂している。観察主体としての自分は舞台を見つめる観客で、観察対象としての自分は与えられた役を演じる役者。二つの「私」の間で人生は演劇に変わり、生は消える。


いまでももう一人の自分がパリに住んでいるような気がする。ドリアン・グレイではないけれど、東京の自分がどうなってしまっても、今日もJavelの交叉点を渡る自分がクリーンでいてくれさえしたらそれでいいかな、という気がする。

Thursday, January 7, 2010

没落していく者

ニーチェの『ツァラトゥストラ』にドップリとはまっていた時期がある。向上するために挑み続け、結果として破滅するならば、それはそれで美しいことなんだ、というメッセージに惹かれていたんだと思う。ツァラトゥストラ(=ニーチェ)は言う。

「わたしは愛する、没落していく者としてでなくては、生きるすべを知らない者たちを。というのは、彼らは向こうへ渡って行く者であるから。」(ちくま学芸文庫版)

「向こうへ渡って行」こう、という情熱はすでになくなった。しかし、「没落していく者」という感覚は分かるような気がする。

「すごい勢いで仕事をこなすわりには、あんまり情熱っていうのを感じないのよね。根本のところですごく冷めてる気がする」、ということを友達から言われた。ひょっとしたらニヒリストなのではないか、という結論に落ち着いたのだが、この人物評、僕の指導教授にそのまま送りたい。

ニーチェと現象学をアカデミックに勉強すると、どうしても世界との間に距離ができてしまう。根っこの部分でどこか人生を諦めてしまう。現代思想系の研究者たちは、だから何となく似ている。

すさまじい仕事量を自分自身に課して、ふらふらで倒れそうになりながらも、どこかでそれを楽しんでいる感覚。不健康なナルシズムと言ったらそれまでだが、そういうのも分かる。

Wednesday, January 6, 2010

タラユマラ

Antoine d'Agataという写真家がいる。マルセイユに生まれ、世界中を放浪した後、ニューヨークで写真家になったアーティスト。現在はマグナムの準会員。身体をテーマにした作品は、フランシス・ベーコンの絵画のような印象もあり、同時になぜかペドロ・コスタのことも思い起こさせる。

Hambourg, 2000

彼が2005年に発表した「MANIFESTE」は、アントナン・アルトーの『タラユマラ』の次の一節を引用している。


C'est comme le squelette du devant qui revient, m'ont dit les Tarahumaras, du RITE SOMBRE; LA NUIT QUI MARCHE SUR LA NUIT.

「それはまるで、帰還する骸骨のようなもの」とタラユマラ族は私に言った。「闇の儀式、夜の上を歩む夜からの帰還・・・」


日本の文学界でアルトーの話をすると、たいていデリダやドゥルーズと絡めた上で、言語表象の臨界や身体性といった方向に話題が逸れていく。フランスのインテリとアルトーの話をすると、「あぁ、若い頃はよく読んだよ。彼のポエジーとパッションは最高だよね」という反応が返ってくる。アルトーを、アルトーそのものとして捉えているのである。

作品のポエジーを殺してしまうような分析には魅力を感じない。ポエジーとは、深夜のバーで酒を飲んでいるときに感じる焦燥感とかすかな甘みであり、文学とはその感度を極限まで高めることである。深夜のマレ地区でブルガリア人とビールを飲んでいたとき、フッと世界が遊離して見えた。現実の間隙に指を差し込む、そういった感性を研ぎ澄ますこと。

リンク : Antoine d'Agata

Tuesday, January 5, 2010

戦略的諦観

先日、iPhoneでCNNのLarry King Showを見ていたら、アメリカの対テロ対策作戦本部長だかなんだかが、面白いことを言っていた。曰く、「テロとの戦いがすぐに終わることはない。考えても見てほしい。あの冷戦だって数十年も続いたんだ。イスラム原理主義との戦いが、たった数年で終わるはずがないではないか。大切なのは、今すぐ敵を駆逐することではない。(そんなことができるわけがない。)それよりも、取り返しのつかないようなダメージを受けるのを防ぐ、ということの方が重要なのだ。」(細かいところは不正確かもしれないが、大体こんな感じの内容だった。)

非常にプラグマティックで、いかにもアメリカ的な歴史観と言うべきか。最悪の事態を避けることにいちばんの重きを置く。政治的な判断は別にして、一つの態度ではある。

理想を追い求めるヨーロッパ的な世界観は、たしかにロマンティックで魅力的。ただ、理想を追い求めるあまり現実が見えなくなって、気が付いたら奈落の底、ということもありうる。「たしかに理想には程遠いかもしれない。でも、とりあえず今の状態をキープして、立ち直れないくらい悲惨な状況に陥ることだけは避けようよ。そのうちチャンスが回ってくるかもしれないじゃないか」、という態度の方が実用的な場合もある。戦略的なあきらめ、というのも知っておかないと、なかなかキツイ。

ジャコメッティ

ジャコメッティの画集を買おうと本屋に行くが、見つからなかった。仕方がないのでジャン・ジュネの『ジャコメッティのアトリエ』でも買おうと思ったが、こちらも見つからなかった。しょうがないので、家に帰って数年前のMoMA展のパンフレットを眺める。

Diego Seated in the Studio, 1950

ジャコメッティの絵画、あるいはあのヒョロ長い彫刻でもいいのだが、何がそんなに魅力的なのだろうか。疲労の極地で、余計なものすべてをこそぎ落とされた人間が、ギリギリの尊厳を保ちながらそれでもそこにいる、ということなのだろうか。

疲労が溜まってくると、無駄な体力を消費する余裕がなくなるので、感情のブレも少なくなるし、日常の行動もスリムになる。自動人形の果てに自由が訪れる感じ。

「人間は肉を捨て去り、骨にならなければならない」、というようなことをアルトーが言っていた。疲弊の果てに生まれる崇高さ、というのもあるのかもしれない。

Monday, January 4, 2010

American Hero

朝、目が覚めてからベッドから出るまでのわずかな時間がいちばん嫌い。完全に覚醒していないので自分の感情を凍結できない。もっとも無防備な時間。非常にフロイト的な枠組みで言うと、日中は無意識のなかに抑圧されている悲しみや虚しさが上の方にニョロニョロとあがってくる感じ。うんざりする。

昨夜、テレビで『ダイハード 4.0』を見た。ブルース・ウィルスの一言が、非常にアメリカ的だと思った。こんなセリフ。「俺はヒーローになんてなりたくなかった。別れた妻は俺の名前を忘れようとしている。娘は口も利いてくれない。毎日ひとりで冷たいピザを食べる生活。こんなのに憧れるのか?」

アメリカのヒーローには、孤独と疲労が付きまとう。強さと賞賛の表舞台から帰宅したあと、待っているのは真っ暗な部屋と冷凍食品。決して溶けることのない哀しみの固まりが体の真ん中から消えない。でも、泣くことすらできない。

フランス人ならばすぐに群れる。カフェで愚痴る。女の胸ですすり泣く。

1970年代のアメリカ映画が好きだった。Taxidriver、Dog Day afternoon、Godfather、Scarecrow、Serpico... 久しぶりに見てみようと思う。

Sunday, January 3, 2010

神楽坂

勉強会の準備をカフェで三時間半、二時間強の勉強会の後、神楽坂で痛飲。バーで飲んでいたら、隣の人と友達になった。神楽坂で飲んでいると、たいてい隣の人との会話が始まる。そういう意味で、やはりパリ的な街なのかもしれない。

Friday, January 1, 2010

人間の特権

正月らしいことも特にせず、普通の一日。午後から書類を作成し、夜は勉強会の打ち合わせなど。後は先日いただいた高級焼酎を飲んだりとか、そんな感じ。

「文化とは全く生産性のない時間を過ごすことだ」、というバタイユの主張もいいよな、と思う。「生産性を上げるために無駄な時間を排除する」とか、「未来のために現在の快楽を犠牲にする」というのもそれはそれでいいのだけれど、すべての活動を生存のために捧げる、というのでは動物と変わらない。人間なんだから、生き延びるという観点からは全く役に立たない時間を楽しむ、という特権を享受するのもいいのではないか。

「自分の生活をしっかりとマネンジメントして、確実にキャリアアップしていこう」という一面と、「そんなこと知ったこっちゃネェよ。ゴチャゴチャうっせぇな。いまやりてぇことだけやってくよ」という一面がある。基本的には「やりたいことだけやってくよ」という態度をとりつつ、手すさびとしてマネンジメントなどもしてみる、というのがいちばん合ってるな、と思う。

真面目になったとたんに人生は重くなり、フットワークも悪くなるからパフォーマンスも落ちていく。

全ての人にいい顔をしようとすると道に迷うし、自分のエッジも消えていく。自分のことを嫌っているやつらもいるんだ、ということを織り込んだ上で行動した方が個性も生きる。あとは、常識とか加減というものは基本的に邪魔クサイので、自分のフィーリングを大切に一気にグワッってやってった方がいいや、とも思う。

バタイユに代表される否定神学的な態度、研究対象としては流石にうんざりだけど、生きる指針としては相変わらず魅力的だな、と思う。そんな、色々なことを思う正月の夜。