DVDで『フリーダ』を見る。苦痛と愛と表現。色々な人生があるものだと思う。
「苦しみがなくなるようにとか、苦しみが少なくなるようにとか求めないこと。そうではなく、苦しみによって損なわれないようにと求めること」
「苦しみがなくなるようにとか、苦しみが少なくなるようにとか求めないこと。そうではなく、苦しみによって損なわれないようにと求めること」
シモーヌ・ヴェイユ
バッハのマタイ受難曲(リヒテル指揮)を聴いている。何かあるときには常に聞くことにしている曲。
アルノー・デプレシャンのKings and Queensで、亡くなった夫との間にできた子供を巡って奮闘する女性がしゃっくりをあげて泣きじゃくる場面がある。本当に辛くて本当に悲しくて本当にどうしようもないとき、人間はあんなふうに泣くんだ、と思って非常なインパクトを受けた。と同時に、それはとても正しいことのようにも思えた。
「本当に真剣な哲学的問題はひとつしかない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否かを判断すること、それこそが哲学の根本的な問題に答えるということだ。」
自らの存在を死の中に投棄することで自由?威厳?良心?が到来する、と言ったのはハイデガーだっただろうか?リルケは胸の中に死を抱くことで誇りが生まれる、というようなことを言っていた。
自分の運命に出会う。
ヘッセの『荒野の狼』の最後に出てくるゲーテの笑いは、おそらくはニーチェの影響下から生じたものだろうが、それはフランス的精神にも通じるところがある。自分自身を笑い飛ばすこと、状況が深刻になればなるほど、その状況を嘲笑すること。アイロニーの精神が消えたところに、アゼラリスト(ラブレーが作り、クンデラが再発見した語。決して笑わない真面目な人々、という意味)が現れる。
フランス文学を起点として人生が大きく変わり、様々な人と出会い、いろいろな場所に行った。それだけでも感謝しなければならない。
ドイツ教養小説の偉大さ。ひとりの人間の人生は、ひとつの芸術作品である。
少し疲れている。のどに違和感を感じたので、念のため少し早めに風邪薬を服用。
アルノー・デプレシャンのKings and Queensで、亡くなった夫との間にできた子供を巡って奮闘する女性がしゃっくりをあげて泣きじゃくる場面がある。本当に辛くて本当に悲しくて本当にどうしようもないとき、人間はあんなふうに泣くんだ、と思って非常なインパクトを受けた。と同時に、それはとても正しいことのようにも思えた。
「本当に真剣な哲学的問題はひとつしかない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否かを判断すること、それこそが哲学の根本的な問題に答えるということだ。」
アルベール・カミュ
ドストエフスキーの『悪霊』に出てくるニコライ・スタヴローギンは文学史上おそらく最も深刻な人物であり、個人的にも自分の存在の本質に関わる。彼にとって人生は完全なる遊びであり、そこにはいかなる価値もない。ニヒリズムに耐えられなくなったスタヴローギンは最後には自殺する。
ドストエフスキーの『悪霊』に出てくるニコライ・スタヴローギンは文学史上おそらく最も深刻な人物であり、個人的にも自分の存在の本質に関わる。彼にとって人生は完全なる遊びであり、そこにはいかなる価値もない。ニヒリズムに耐えられなくなったスタヴローギンは最後には自殺する。
自らの存在を死の中に投棄することで自由?威厳?良心?が到来する、と言ったのはハイデガーだっただろうか?リルケは胸の中に死を抱くことで誇りが生まれる、というようなことを言っていた。
自分の運命に出会う。
ヘッセの『荒野の狼』の最後に出てくるゲーテの笑いは、おそらくはニーチェの影響下から生じたものだろうが、それはフランス的精神にも通じるところがある。自分自身を笑い飛ばすこと、状況が深刻になればなるほど、その状況を嘲笑すること。アイロニーの精神が消えたところに、アゼラリスト(ラブレーが作り、クンデラが再発見した語。決して笑わない真面目な人々、という意味)が現れる。
フランス文学を起点として人生が大きく変わり、様々な人と出会い、いろいろな場所に行った。それだけでも感謝しなければならない。
ドイツ教養小説の偉大さ。ひとりの人間の人生は、ひとつの芸術作品である。
少し疲れている。のどに違和感を感じたので、念のため少し早めに風邪薬を服用。