今年もそろそろお終い。一月から七月はパリ、七月から十二月は東京という、二都市で過ごした一年。途中でモードを切り替えるのが大変だった。
パリには去年の秋からいたので、フランスに対するカルチャーショックはすでに消えていた。一月からは大学もストに入り、割りと淡々とした日々。一緒に住んでいたムッシュと遠足に行ったり、アパートが水没したので一日がかりで掃除をしたり、六月にはモロッコへの一人旅も。このままアフリカから出られないかも、と思うことも何回かあったが、なんとか無事生還。パリ祭を堪能して、その翌日、七月十五日に帰国。
日本への帰国後、少し休養を入れるべきだったのかもしれない。日本に慣れる間もなく、いきなりフルで活動したので、そのギャップを埋めるのにけっこう苦労した。あるいは外人で暮らすということと、ネイティブで暮らすということの違いなのかもしれない。いま頃になって、パリのことを良く思い出す。
Invalidesの、長くてベコベコの動く歩道を足早に駆け抜ける。左側にはEmausの巨大なポスター。RER Cの改札をNavigoで通過し、右側のパン屋を眺めながら左側のエスカレーターでホームへ。ホームの端まで歩き、腰くらいの高さのベンチにもたれかかると、左上には旧式の掲示板。パタパタと表示が変わり、SARAかVICKが来たら電車に乗り込む。二階の座席に上がり、ドカっと腰をおろし、足を投げ出して窓の外を眺める。セーヌが右向きに流れていく。Invalides、Pont de l'Alma, Champ de Mars、やがて自由の女神が見える。そしてJavel。僕が降りる駅。
今でも、自分のドッペルゲンガーが毎日RER Cを利用しているんじゃないかと思う。(SNCFのストの日を除いて。)
パリは寒くて乾燥していた。日本から持っていったコートではとても耐え切れなかったので、十一月のある日、St. MichealのブティックでG-Star Rawの厚手のコートを買った。重さが2~3キロもある、防弾チョッキのような素材の、日本では売っていないやつ。-12度まで気温が下がったある日、そのコートを着てJavelまで歩いた。たしかに顔は冷気で痛かったけれど、これも悪くないよな、と思った。メトロの階段では、アラブ系の女性が物乞いをしていた。
いま、このコートを着て東京を歩いている。たしかに風を通さない、暖かいことは暖かいけれど、どこか違和感を感じる。首筋がごわごわする、肌が汗ばむ。文化圏の差異は、こういう所にあらわれるんだと思う。
「わたしは何でもない、何になることもないだろう、何でもないことを望むことはできない」
久しぶりに大学に行き、教授の研究室で雑談した。パリに行く前よりも距離が縮まったような気がした。僕がアカデミズムを去るから、住む世界がすでに違うから、ということもあるだろう。だが、おそらくそれだけではない。お互いにあのパリという街を体験した、パリという経験を肌に刻み込んできた、そこにはある種の連帯感があったように思う。その後、他の教授も研究室に乱入してきて、色々と話も盛り上がったのだが、我々の真ん中にはパリがあった。
アパートに着く。暗証番号を押しドアのロックを解除。壁に埋め込まれた鍵穴にキーを差し込み、二つ目のドアを開き、エレベーターに乗り込む。2em étage。エレベーターが開き、真っ暗な廊下の明かりをつけ、一つ角を曲がり、ムッシュ宅のドア。上部の鍵穴に鍵を差し込み、右に二回転、下部の鍵穴にも鍵を差し込み、ドアを手前に引っ張りながら、力強く右に一回転。
記憶が徐々に抜け落ちていく。パリに住んでいた時分から、やがてこの生活を懐かしむことがあるだろう、そして少しずつ抜け落ちていく記憶に悲しみを感じるだろう、と思っていた。事実、もはやムッシュ宅のドアノブの形を思い出すことができない。
先日、友達と十数年ぶりに母校の中・高に行った。その日は日曜日だったので、校舎には誰もいなかった。外から食堂を眺め、校庭を一望し、ガラス越しに柔道場を見物した。僕らの頃とは畳の色が変わっていた。
日本に帰国した直後、十数年ぶりに柔道部の仲間と飲み、十数年ぶりに社会科の先生と話した。おかしなものだな、と思う。いちばん遠いところから戻ってきたら、自分の過去が待っていた。
「お菓子のかけらの混じったそのひと口のお茶が口の裏にふれたとたんに、私は自分の内部で異常なことが進行しつつあるのに気づいて、びくっとした。素晴らしい快感、孤立した、原因不明の快感が、私のうちにはいりこんでいたのだ。」
マルセル・プルースト
『失われた時を求めて』のキー概念に、無意識的記憶(réminiscence)というものがある。何気ない刺激が自分の過去を一気に想起させること。ふと口にしたマドレーヌが、それまで意識することのなかった幼年時の記憶を開花させ、長大な物語をつむぎだしたように。
ベルグソンの言う「純粋記憶」ではないが、「いまここにいる自分」が「それまで生きてきた自分」も内包するのだとしたら、年を重ねるにつれて「いまの自分」の深みは増していく。『失われた時を求めて』の語り手は、「物語を書く」という現在を生き、同時に物語のなかの過去を生きた。過去を現在と同じ濃度で味わう、それは新しい価値を生み続けようとする近代の世界観とは相容れないが、ひとつの生き方ではある。
先日、中東の考古学を専門とする研究者と二人で飲みに行った。これまでやってきた文学や哲学を、むりに引き離そうとする必要はないのかもしれない。