Thursday, December 31, 2009

大晦日

昨日が勉強会納めで、今日が仕事納め。帰り道、本屋でバタイユの『純然たる幸福』(ちくま学芸文庫)を購入、家に帰ってからのんびりとページをめくる。

去年に引き続き今年も激動の一年だったが、来年も激動する予定。激動も三年つづくと普通になってくる。いま流行の動的平衡というやつだろうか、常に変化しながら安定している(?)という状態も、三年くらいだったら悪くない。


来年の目標:目標に縛られすぎないこと。


最後にゲーテの言葉を。

「多くの人々は一つの中心点を求める。これは困難なことであり、正しいことですらない。私は、われわれの間近におかれた豊饒(ほうじょう)で複雑な一つの人生は、格別はっきりした傾向がなくても、それだけで十分だと考えたい。このような人生は、結局、知者のみにもたらされるのである。」

Wednesday, December 30, 2009

アート雑感

イタロ・カルヴィーノの『まっぷたつの子爵』を読了、ヘンリー・ミラーの『Tropic of Cancer』を英語で読み始め、先ほど カトリーヌ・ブレイヤの「ロマンスX」を鑑賞。現在、グレン・グールド演奏、ブラームスのBalladesをヘッドホンで聞きながら文章を書いている。これまでの渇きを癒すかのようにアートに触れる日々。それだけ身体が欲していたということだろう。

先日、大学院の後輩とも話したのだが、ヘンリー・ミラーは最大の博愛主義者だと思う。数年前に『Tropic of Capricorn』を読んだとき、身体が震え涙で文字が見えなくなった。『Tropic of Cancer』も然り。しかもCancerの場合、舞台がパリなだけにいっそう思い入れが深い。

ミラーの作品の本当の魅力は英語で読まなければ分からない。文体が身体を突き刺し、血液を浄化するような快感がある。僕のなかにある三つの言語、日本語、英語、フランス語のうち、英語は読み、話す言語、フランス語は聞く言語、日本語は・・・強いて言えば書く言語か(身体的な快感という意味では、英語の方に分がある)。

まったく期待していなかった「ロマンスX」だが、意外なことにけっこう面白かった。女性の語り手によるセックスの告白という点では、マルグリット・デュラスなどの先例がいくらでもある。ただこの作品の場合、女性の身体性と欲望を直接的なイメージとして表象したというところが特異なのかもしれない。映像の衝撃性という意味では、今年の春パリで見た(そして日本では絶対に公開することのできない)、ラース・フォン・トリアーの「Antichirist」の方がはるかに強烈だったが。

肉体的な痛みを感じなくなって久しい。柔道をしていた頃は、毎日のように畳に投げつけられ、骨も折ったし、捻挫や打ち身も数え切れないほど繰り返した。いまでもジョギングのときに意識的に身体をいじめたりはするが、それでも肺が焼けつき、多少の酸欠を感じる程度。もう少し違う刺激を与えてもいいような気がする。

現代思想の流行で「身体知」ということをよく言う。しかしそれがどんなものだか、とうとう最後まで分からなかった。デカルト以降の理性的人間に対するアンチテーゼを、西洋のインテリが仲間内で騒ぎ立てているようにしか思えなかった。肉塊でしかない身体を引きずりながら、その肉塊を好きなようにもてあそんだ方がよほど面白い、という気もしないでもない。

人文業界

ここに来て、ようやく文学や哲学を楽しめるようになってきた。これまで、文学を専門としていたときには、読書を純粋に楽しむことなどできなかった。

人文系の業界も、なかなか厳しい状況にある。身も蓋もない言い方をすれば、人文系の勉強をいくらしたところで、食っていけないのだ。業界自体が収縮傾向にある。当然、ポストも限られてくる。限られたポストを巡って熾烈な争いが繰り広げられる。いかにしてポイントを稼ぐか、ということが研究の主眼になってくる。

専任の職を得られる者は、よほどの知力と運に恵まれた者だけである。非常勤でも収入が得られれば御の字。ただ雇用形態が不安定なため、人生設計は立てづらくなる。それではなぜ業界の外に出ないのか。純粋に自分の研究が好きだから、ということもあるだろう。自分の研究は人類の未来にとって必要なはずだ、という確信を持っているのかもしれない。あるいは、「いまさらもう遅いよ」、というあきらめの境地にいるのかもしれない。

心血を注いで書いた論文の読者は多くても数百人、誰かから感謝されるわけでもなく、お金になるわけでもない。そのような状況の中で、一体どのようにして研究のモチベーションを保っていけばいいのか。生活が成り立たないという現実を前にして、「自分が好きだから」や「人類に対するささやかな貢献」のみを支えに大学に残り続けるのは、あまりにもつらいのではないか。

まず一つ。惰性で大学に残っている人は、いちど大学の外に出てみてもいいのではないか。研究者が思っているほど、「外の世界」は狭くもないし冷たくもない。足で情報を稼ぎ、労働市場のルールを把握した上で適切なアウトプットを行えば、けっこう受け入れてもらえる。

二つ目。有能な研究者が食っていけるシステムを構築しなければならない。厳しい現状にあるとはいえ、人文系の研究というのは世の中に絶対に必要なものだから。

一人の人間が生活を営んでいく上で、ビジネス書だけでは解決することのできない哲学的な問題にぶち当たることは間々ある。そのようなとき、たとえ原書を直に読まなかったとしても、間接的な形で、例えばカントやニーチェやサルトルの知に救われるということはありえる。外国の哲学書を正確に訳せる人、難解な哲学書を解説してくれる人、時代に合わせて解釈してくれる人というのは不可欠であり、そういった人を育成する安定したシステムというのもまた、必要になってくる。

経済活動の主体としてではなく、悩みながらも充実した人生を送ろうとする個人として人間を捉えるならば、そしてそのような人間の集合として社会を捉えるならば、人文研究を行う機関をキープしておくことも社会的に有用なことのように思われる。

Tuesday, December 29, 2009

「ノスタルジア」

DVDで久々にタルコフスキーの「ノスタルジア」を見る。圧倒的な映像美。すべてのMis en scèneが完璧で、これほどまでに美しい映画を私は知らない。

この映画も、やはり記憶をテーマにしている。過去は常に現在として生きられる。記憶のなかにまぎれ込んだ私にとって、その過去は過去であると同時に現在でもある。

過去は過ぎ去るものであるが、同時に留まるものでもある。高校時代の私はいまでも柔道場で汗を流し、パリ時代の私は今日もJavelからChamp de Marsまで往復する。「いま=ここ」にいる私が私のすべてではない。「かつて=そこ」にいた複数の私も含めて、その全体が私である。

ロウソクの火を消すことなく広場の温泉を横断することができたら人類は救われる、と信じるドメニコの仕事をアンドレイは引き継ぐ。ローマで人類の危機を訴えるドメニコは、演説の終了と共に自らの身体に火を放ち自害し、ロウソクを灯したままの温泉横断に成功したアンドレイもまた、広場の端に到着すると同時に息絶える。

彼は私であり、私は彼である。二十世紀の思想は主体と客体の二元論を克服したと言われるが、「私」という存在を複数の「私」の布置(constellation)としてとらえたところに、その成果があったように思う。

文学・哲学

サルトルの『自由への道』第一部、「分別ざかり」を読了。最近、ようやく人文系の本が読めるようになってきた。パリから帰ってきたばかりの頃は、気ばかりあせってビジネス書しか読めなかったので。

ヨーロッパのアカデミズムに飛び込んでみて、自分が「哲学学者」には向いていないことを痛感した。ラテン語やギリシア語を幼少期から学び、カントやベルグソンを自分たちの文化として捉えている彼らにかなうわけがない。そもそも、例えばアルトー研究に生涯を費やし、自分たちのやっていることは人類に対する貢献なんだ、ということを信じきっている彼らの一員になるモチベーションがない。

プロとしてやっていく気はないが、それでも文学や哲学は必要だと思う。いまでも週一くらいのペースでフランス文学系の勉強会を開いているし、そこで気付かされることも多い。「これをやったからこういう得がある」というものでもないが、それでも面白さを感じられる、というのは大切だと思う。

文学や哲学は新しい世界を開示してくれる。しかし、それではニーチェを読破したら悟りの境地にたどり着けるのか、と言ったら、そんなものでもない。悩みや苦しみがなくなることはない。「それでも」、と僕は思うのだが、ニーチェを読んだことで得られる「何か」、というのはあると思う。

大江健三郎がどこかで言っていた。生きているかぎり問題が解決することはない。しかし小説を書くことで、自分が抱える雑多な問題がいくつかの点に結集し、星のように輝きはじめる。布置された星々は全体としてひとつの星座を形づくり、それは自分の人生そのものである。

デリダによれば「読むこと」は「書くこと」である。ひとは読書を通じて、「与えられた物語」を「自分の物語」として書き直していく。文学や哲学を読むことで、自分の生が星座となって表れることもあるのかもしれない。

Monday, December 28, 2009

2009

今年もそろそろお終い。一月から七月はパリ、七月から十二月は東京という、二都市で過ごした一年。途中でモードを切り替えるのが大変だった。

パリには去年の秋からいたので、フランスに対するカルチャーショックはすでに消えていた。一月からは大学もストに入り、割りと淡々とした日々。一緒に住んでいたムッシュと遠足に行ったり、アパートが水没したので一日がかりで掃除をしたり、六月にはモロッコへの一人旅も。このままアフリカから出られないかも、と思うことも何回かあったが、なんとか無事生還。パリ祭を堪能して、その翌日、七月十五日に帰国。

日本への帰国後、少し休養を入れるべきだったのかもしれない。日本に慣れる間もなく、いきなりフルで活動したので、そのギャップを埋めるのにけっこう苦労した。あるいは外人で暮らすということと、ネイティブで暮らすということの違いなのかもしれない。いま頃になって、パリのことを良く思い出す。

Invalidesの、長くてベコベコの動く歩道を足早に駆け抜ける。左側にはEmausの巨大なポスター。RER Cの改札をNavigoで通過し、右側のパン屋を眺めながら左側のエスカレーターでホームへ。ホームの端まで歩き、腰くらいの高さのベンチにもたれかかると、左上には旧式の掲示板。パタパタと表示が変わり、SARAかVICKが来たら電車に乗り込む。二階の座席に上がり、ドカっと腰をおろし、足を投げ出して窓の外を眺める。セーヌが右向きに流れていく。Invalides、Pont de l'Alma, Champ de Mars、やがて自由の女神が見える。そしてJavel。僕が降りる駅。

今でも、自分のドッペルゲンガーが毎日RER Cを利用しているんじゃないかと思う。(SNCFのストの日を除いて。)

パリは寒くて乾燥していた。日本から持っていったコートではとても耐え切れなかったので、十一月のある日、St. MichealのブティックでG-Star Rawの厚手のコートを買った。重さが2~3キロもある、防弾チョッキのような素材の、日本では売っていないやつ。-12度まで気温が下がったある日、そのコートを着てJavelまで歩いた。たしかに顔は冷気で痛かったけれど、これも悪くないよな、と思った。メトロの階段では、アラブ系の女性が物乞いをしていた。

いま、このコートを着て東京を歩いている。たしかに風を通さない、暖かいことは暖かいけれど、どこか違和感を感じる。首筋がごわごわする、肌が汗ばむ。文化圏の差異は、こういう所にあらわれるんだと思う。


「わたしは何でもない、何になることもないだろう、何でもないことを望むことはできない」
フェルナンド・ペソア


久しぶりに大学に行き、教授の研究室で雑談した。パリに行く前よりも距離が縮まったような気がした。僕がアカデミズムを去るから、住む世界がすでに違うから、ということもあるだろう。だが、おそらくそれだけではない。お互いにあのパリという街を体験した、パリという経験を肌に刻み込んできた、そこにはある種の連帯感があったように思う。その後、他の教授も研究室に乱入してきて、色々と話も盛り上がったのだが、我々の真ん中にはパリがあった。

アパートに着く。暗証番号を押しドアのロックを解除。壁に埋め込まれた鍵穴にキーを差し込み、二つ目のドアを開き、エレベーターに乗り込む。2em étage。エレベーターが開き、真っ暗な廊下の明かりをつけ、一つ角を曲がり、ムッシュ宅のドア。上部の鍵穴に鍵を差し込み、右に二回転、下部の鍵穴にも鍵を差し込み、ドアを手前に引っ張りながら、力強く右に一回転。

記憶が徐々に抜け落ちていく。パリに住んでいた時分から、やがてこの生活を懐かしむことがあるだろう、そして少しずつ抜け落ちていく記憶に悲しみを感じるだろう、と思っていた。事実、もはやムッシュ宅のドアノブの形を思い出すことができない。

先日、友達と十数年ぶりに母校の中・高に行った。その日は日曜日だったので、校舎には誰もいなかった。外から食堂を眺め、校庭を一望し、ガラス越しに柔道場を見物した。僕らの頃とは畳の色が変わっていた。

日本に帰国した直後、十数年ぶりに柔道部の仲間と飲み、十数年ぶりに社会科の先生と話した。おかしなものだな、と思う。いちばん遠いところから戻ってきたら、自分の過去が待っていた。


「お菓子のかけらの混じったそのひと口のお茶が口の裏にふれたとたんに、私は自分の内部で異常なことが進行しつつあるのに気づいて、びくっとした。素晴らしい快感、孤立した、原因不明の快感が、私のうちにはいりこんでいたのだ。」
マルセル・プルースト


『失われた時を求めて』のキー概念に、無意識的記憶(réminiscence)というものがある。何気ない刺激が自分の過去を一気に想起させること。ふと口にしたマドレーヌが、それまで意識することのなかった幼年時の記憶を開花させ、長大な物語をつむぎだしたように。

ベルグソンの言う「純粋記憶」ではないが、「いまここにいる自分」が「それまで生きてきた自分」も内包するのだとしたら、年を重ねるにつれて「いまの自分」の深みは増していく。『失われた時を求めて』の語り手は、「物語を書く」という現在を生き、同時に物語のなかの過去を生きた。過去を現在と同じ濃度で味わう、それは新しい価値を生み続けようとする近代の世界観とは相容れないが、ひとつの生き方ではある。

先日、中東の考古学を専門とする研究者と二人で飲みに行った。これまでやってきた文学や哲学を、むりに引き離そうとする必要はないのかもしれない。

Sunday, December 27, 2009

『自由への道』

電車の中でマリア・カラスの「トスカ」を聴きながらサルトルの『自由への道』第一部、「分別ざかり」を読む。久しぶりに小説を楽しむ。先生の今年の労作に感動。

この小説の主人公、マチウの姿に部分的に自分をダブらせる。34才、かつては冒険を追い求め、しかし現在は高校の哲学教師。完全に自由であることを願い、何ものにも拘束(engager)されたくないがために、何ものにもコミットしてこなかった男。ブルジョワを軽蔑しながらもブルジョワ的な生活を送り、現実から目をそむけ、自己欺瞞の中で責任を回避し続けてきた、しかしいいかげんに「分別」を覚えなければならない男。

『嘔吐』のロカンタンもそうだが、冒険に満ちた青春を送りながらも、結局は平凡な日常に落ち着く、そこに漂う一抹の焦燥感と、しかし「それでいいんだ」という納得の心持ちを描くのが、サルトルはうまい。「自由でなければならない」、という拘束からも自由であること。放浪にはロマンがあるが、責任がない分、現実に欠けている。

Friday, December 25, 2009

罪と罰

19世紀に発表されたドストエフスキーの『罪と罰』において、金貸しの老婆を殺した主人公のラスコーリニコフは、自分が犯した罪の重さに耐えられなくなって、自ら罰を求めた(自首した)。20世紀に発表されたカフカの『審判』において、何の前触れもなく捕らえられたヨーゼフK(だったかな?)は、自分に降りかかってきた罰の正当性を保つため、自らの過去に罪を求めるようになる。ミラン・クンデラがそんな分析をしていた。

『リア王』のなかでシェークスピアは「赤ん坊が生まれてすぐ泣くのは、この世に生を受けたことを悲しんでいるからだ」と書いたが、「生きること=罰」のような世界では、「罰」を正当化するための「罪」を捏造しないとやっていけない。生きることがつらい、なぜなら自分はあんなことをしたからだ、こんなことをしたからだ、自分が存在すること自体が罪だからだ、そしてその罪に見合うだけの罰をさらに求める、自分を痛めつける、苦しむことが自分の「罪滅ぼし」となり、存在意義となる。

Tuesday, December 22, 2009

大学

久々に大学に行く。教授の研究室で談笑したり、後輩に会ったり。利害関係のないメンバーが集まった組織は貴重だな、と思う。

中に居るときは分からないが、外に出ると、大学の、いい意味での「ゆるさ」が非常に得がたいもののように思われる。リラックスできる。たまには大学院の同窓会を開いてみるのも面白いのかもしれない。緊張感のある日常の中で澱のように溜まっていく疲れが、少しは発散されるかもしれない。

Tuesday, December 15, 2009

「存在の耐えられない軽さ」

映画版「存在の耐えられない軽さ」を見る。ミラン・クンデラの原作は日本語とフランス語で一回ずつ読んだことがあったし、映画を観るのもこれで二回目。だが、ここまで迫ってきたのはこれが初めて。

原作にかなり忠実な仕上がりではあるが、手触りは異なる。原作では、全知の語り手がトマーシュやテレザの心理を細かく分析していた。そこでは読者は物語の外部から登場人物の人生を眺める。しかし映画では、全知の語り手が消えている。その分プロットが際立ち、物語に入り込める。

問題は「存在の軽さの耐え難さ」であり、「重さ」への逃走(leave)である。ソ連軍の進行によってプラハの春が終わりを告げ、共産党政権の監視下に置かれたチェコに、なぜテレザは戻ったのか。自ら苦境へと飛び込もうとする心理の背後には、重荷を担うことでしか得ることのできない、ある種の安堵感への欲望があるのだろうか。

人生をドラマティックなものに仕立て上げようとする者にとって、「重さ」は必需品である。テレザは人生に真実を求めた。トマーシュは人生の甘い軽さを楽しんだ。これにより、テレザは「弱さ」の国に属し、トマーシュは「強さ」の国に属することになった。

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「どうしたの?」と、(トマーシュは)いった。
「何でもないわ」
「僕にどうしてほしいんだい」
「あなたに年とってほしいの。十歳年をとってほしいの。二十歳年をとってほしいの!」
それによって、あなたが弱くなってほしいといいたかった。私のように弱くなってほしいと。

『存在の耐えられない軽さ』、集英社文庫版、p.95

『プロフェッショナルの条件』

ピーター・ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読み返す。以下、面白かったところのまとめ。(少しアレンジしています。)

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会社組織は、明確な一つの使命を持たなければならない。そして組織の成果は、その使命に賛同した知識労働者が、それぞれの専門性と強みを活かしながら力を合わせることによってもたらされる。「自分の行っていることは社会にとって必要不可欠だ」と確信した労働者が集まることで、組織は最高の仕事を成し遂げられる。

このような組織において、すべての者はエグゼクティブである。彼ら・彼女らは、自分の仕事を自分でマネジメントする。上から言われた仕事を単純に繰り返すのではない。組織への貢献に焦点を当てつつ、最上の意思決定を自ら行い、同時に自らの行動の責任を取り、そして常に成果によって評価される。

しかし、自律的であるということは孤独であるということではない。一つの専門知識は、他の専門知識と結合することで、初めて生産的になる。組織で働く者は、「誰に何を理解してもらえば自分の専門知識が成果につながるか」、「組織の業績に対する自分の最も重要な貢献は何か」について徹底的に考えなければならない。知識労働者が構成する組織では、あらゆる者は同等であり、目的を同じくする一つのチームである。組織の使命を共有したメンバーが自律性を保ちつつ、お互いに協力しながら事業を展開することで、成果は生まれる。

このように知識労働者は、自らで自らをマネジメントする。だが、彼ら・彼女らが、自分ではコントロールできないものもある。それは1)時間、2)日常業務、3)他の者が自分の貢献を利用してくれるときのみ、成果をあげることができるという現実、4)組織の内部にいるという現実、である。組織に対する利益は、組織の外の世界の変化によってもたらされる。しかし組織の内部にいると、外の現実が見えにくくなる。

外の現実から切り離され、時代遅れにならないためにも、知識労働者は四、五年おきに新しい知識を仕入れなければならない。そして、イノベーションによって組織を変化させ続けなければならない。イノベーションの方法としては、1)絶えざる改善、2)成功している事業の応用法の開発、3)イノベーション自体を組織のマネジメント・プロセスに取り込む、といったことが挙げられる。

知識人と組織は、互いが互いを必要とする。知識人は、自らの専門知識を社会に適用する手段として組織を見る。組織がなければ、知識人は「好きなことをしている」だけである。組織は知識労働者に対して、その知識を活かすための最高の機会を与えることで初めて、彼ら・彼女らを獲得する。

Monday, December 14, 2009

ジョギング

A Tribe called Questを聴きながら一時間ほどジョギング。日が落ちたあとのジョギングには、こういう低音生音ズンドコ系ヒップホップが良く似合う。それにしても、ようやく一時間くらい走れるようになってきた。

最近、あまり音楽を聴いていない。かつては吉祥寺のSOMETIMEに通ったこともあったが、この頃はさっぱり。集中して音楽を聴くのは走っているときくらい。

下のビデオはHerbie Hancock feat. Corinne Bailey Raeの「River」。ハービー・ハンコックの『リバー』というアルバムに収録されています。少し悲しいクリスマスソング。いい曲です。(歌詞へのリンク

Sunday, December 13, 2009

能力分析

今後の仕事に行かせる自分の強み

1. 論理的アウトプット力
アカデミックな場において、日本語、英語、フランス語を用いてプレゼン、レポート作成、論文執筆を行ってきた。

a. ICU時代:アメリカ式の論文作法、プレゼン作法を学び、英語でのレポート作成、プレゼンを行う。成績は最上級クラスでオールA。

b. 大学院時代:フランス式の論文作法を学び、フランス語でのレポート作成を行う。修士課程で文学部総代に選出、修士論文(日本語)で学内の賞を受賞。

c. パリ大学時代:フランス語による45分間のプレゼン、及びレポート作成を複数回こなす。

2. グローバルな視野
2008年から2009年にかけての一年間、パリ大学に単身で留学。専門としていた西洋思想の知識を背景に、フランス人の友達やホストファミリーと議論を繰り返し、フランスの文化を吸収する。

西洋の知の系譜を体系的に学び、西洋の教育を実際に体験した。これにより、グローバルな視点から日本の教育を見ることができるようになった。

3 語学学習力
「文法→構文読解→精読・多読」という受験勉強的なメソッドで英語(TOEIC 865)、フランス語(DALF C1)をマスターする。


ビジネスの基本能力

1. 英語:TOEIC 865(現状) ⇒ 900(三ヶ月以内の目標)
2. 会計力:なし ⇒ 簿記二級
3. IT:基本的ビジネスソフト+HTML, CSS ⇒ それぞれ簡単に確認


専門外の能力

1. 経営、経済に関する専門的な知識
2. 理系の専門能力

Friday, December 11, 2009

魅力的な会社

この数ヶ月、色々な会社を回り、様々な社長と話しをしてきた。魅力的な会社には、いくつかの条件がある。

1. 理念がある
魅力的な会社は、会社としての理念を持っている。社会における自社の存在意義を確信している。このような会社の創業者は、自社について熱く語る。そこにはプライドがある。社会の問題をビジネスを通して解決し、社会に貢献しようとする。

2. ビジネスモデルがしっかりしている
魅力的な会社は、ビジネスモデルがしっかりしている。顧客に上質のサービスを提供し、社会貢献をし続けるためには、会社が存続していかなければならない。そのためには、収益を上げ続けられるようなシステムが確立していることが必須である。理念に力を与え社会を変えるには、ビジネスライクなクールな眼差しと戦略が必要となる。

3. 組織がフラットである
魅力的な会社の組織はフラットである。すべてのメンバーにチャンスが与えられ、成果が正当に評価される体制が整ってこそ、社員は最大限のパフォーマンスを発揮できる。逆に言えばこのような組織においては、各々が自らの強みを認識し、自分の仕事をプロデュースすることで組織に積極的に貢献しなければならない。ドラッカーが言うように、「今日の組織では、自らの知識や地位のゆえに組織の活動と業績に実質的な貢献を果たす知識労働者は、すべてエグゼクティブである」(『経営者の条件』)。

以上の条件を満たす会社には一つの特徴がある。このような会社には、定時がないのだ。彼ら・彼女らは、例えば大多数のフランス人のように、「仕事=労苦、バカンス=人生」とは考えない。自らの仕事の意義を確信した彼ら・彼女らは、「やるべきことをやる」。いやいや深夜まで残業するのではない。やるべきことをやっていて、気が付いたら12時になっていたのだ。社会に対して新しい価値を提供するということは、一種のアートである。アーティストに定時という概念はない。

Thursday, December 10, 2009

小説

小説を読まなくなって久しい。いちばん最後に読んだ小説は、パリからの帰国直前に読み終えたヘッセの『ガラス玉演戯』だろう。日本に戻ってきてからスタンダールの『パルムの僧院』を読み直そうとしたが、途中で挫折した。

純粋に忙しくて、小説を読んでいる時間がなかったということもある。だが、それだけではないような気もする。おそらく、小説よりも現実のほうが面白くなってきたのだ。ジュリアン・ソレルの冒険を頭の中で追走するよりも、自分の人生を身体をはって展開するほうがエキサイティングになったのだろう。

小説の楽しみは、主人公に自分自身を重ね合わせ、想像の中で冒険を追体験するところにある。(『ボヴァリー夫人』のように冒険のない小説もあるが、フロベールは僕の好みではない。ただ、フロベールが好きな人には興味がある。)だが現在、自分の現実の人生が十分に刺激的なので、あえて小説に冒険を求めようとは思わない。

人文系で言うならば、小説よりも哲学に魅力を感じる。最近だと、レヴィナスの『全体性と無限(Totalité et infini)』が面白かった。小説も哲学も、現実に対する新しい視点を読者に与える。ただ哲学のほうが、記述がより直接的なのだ。小説を読んでいると、どうもまどろっこしさを感じてしまう。

そう言えば、このところ漫画の『バガボンド』にハマリまくっている。基本的に漫画は買わないのだが、この作品は例外。漫画でしか伝えられない哲学がここにはある。そしてその哲学に、けっこうギリギリの状況のときに励まされたりもしてきた。物語が肌に合わない、論述のほうがいい、という訳でもないらしい。問題は情報の密度なのだろう。21世紀の読者にとって、19世紀や20世紀の小説は遅すぎる。

リンク:『バガボンド』の哲学的分析(by 内田樹氏)

資産運用

資産運用関連の本を数冊読む。どの本にも同じようなことが書いてある。まとめるとこんな感じ。

資産を増やすには

一年で増える財産=(年間総収入-年間総支出)+年率運用利回り×運用資産

という方程式の右辺のパラメーターをいじってやればいい。つまり、収入を増やすか、支出を減らすか、利回りを上げて投資からの収入を増やすかのいずれか。

資産が少ない間は投資からのインカムはあまり望めない。まずは自分が好きで、自分の強みを活かせて、しかも儲かるような職について、しっかりと働いてがっつりと稼ぐ、あとは無駄遣いをしないことが基本になる。ただ、勉強として小額からでも運用し始めるのは悪くない。また、複利効果を考慮した場合、早くから運用を開始したほうが有利ということもある。資産が増えれば、ファイナンシャル・フリーダム(不労所得のみで生活していけること)も夢ではないかもしれない。

資産運用をする場合は、国内、海外のインデックス・ファンドと債券で構成するのが基本。インデックスと安全資産を組み合わせることで、有効フロンティアの外側に抜け出せる(マルコビッツの投資選択モデルを参照)。株式と債券は変動のベクトルが逆なので、好況のときは固定金利の債券を買い、不況のときは債券を売って株式の買い増しをすると効果的。

と、大体こんな感じのことが書かれていました。

<参考文献>
『今こそ知りたい資産運用のセオリー』、竹中正治、光文社、2008
『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』、藤沢数希、ダイヤモンド社、2006

Wednesday, December 9, 2009

TOEIC勉強法

さっそくTOEICの勉強を始めました。いくつかの修正を加えた結果、以下の方法で進めていくことに。

単語:『TOEFL TEST対策iBT英単語』を一日200ワードずつ確認していく。200ワードを覚えるのにかかる時間が約40分。あとは隙間の時間に復習。

復習方法として、例文を読み上げた付属CDを徹底的に聞き込んでいく。例文とCDの出来がかなりいいので、目で単語を確認していくよりもこの方が効果的かと。例文を目で追いながらCDを聞いて意味が理解できる、さらには例文を聞いただけで意味が理解できるようになればOK。

なお、電車のなかでCDを聞くときに大切なのが外音遮断性の高いイヤホン。ネットで調べたところ、オーディオテクニカのATH-CKM55が良いようです。(アマゾンで買うと安い)

リスニングNPRまたはBBCを一日30分くらい集中して聞く。あとは家にいるときにBBCのトーク番組でも流しておけばOK。

リーディング:一日一時間、TIMEを集中して読む。モニターで読もうとすると目が疲れるので、面倒でも記事はプリントアウトしたほうが良い。一度ザッと目を通した後、知らない単語を調べつつ確認。一つの記事にかかる時間が10~15分、4~6記事ほど読むことを目安に。

ということで、一日二時間ちょっと英語の勉強時間をとり、900点越えを目指す。

Tuesday, December 8, 2009

試験計画 etc.

先日ネットで注文した、システム手帳のリフィルが届きました。一日見開き一ページ、右側がタイムテーブルとチェックリスト、左側がメモになっているタイプです。うん、想像通り。これならしっかりと情報管理ができそう。

一年分すべてを手帳に入れるわけにもいかないので、とりあえずは三か月分を収納してみる。というわけで、手帳の構成は以下の通り。1)見開き一年リフィル、2)見開き一ヶ月リフィル×12ヶ月分、3)見開き一日リフィル×3ヶ月分、4)方眼メモ10枚。あとは東京の電車マップを購入すれば完璧かな。

ちなみに一日リフィルは現在の月と前後一ヶ月分(いま2月だとすると、1~3月分)を収納するつもり。これだと過去一ヶ月のデータを常に参照でき、同時に今後一ヶ月の細かい予定も記入することができる。手帳に収納できないリフィルは厚めのバインダーで保管。

TOEIC、簿記二級の勉強計画も立てました。TOEICは単語、リスニング、リーディングに分解。単語は『TOEFL TEST対策 iBT英単語』を使用して約5000語を丸暗記。本屋にあった単語帳の中で、いちばん厚かったのがこの本でした。一日200語ずつ確認していって、一ヶ月くらいで終える。

リスニングはNPRBBCを毎日30分程度聞けばいいかと。アメリカ英語とイギリス英語の両方に慣れておきたいので、放送局は二つ使用。

リーディング対策としては、ネット版TIMEを一日一時間程度読む予定。最初にザッと目を通して、その後知らない単語を調べつつ確認。一つの記事に5分かかるとして、一日12記事くらい読んでいけば十分だと思う。あとは試験直前に『新TOEICテスト「直前」模試3回分』をやって終了。

簿記は、「さくっとうかる」シリーズの三級、二級で基礎を固め、その後出題別トレーニング、過去問と進むつもり。ちなみに、簿記独学の道しるべとしてこんなサイトを発見。とりあえずはこのサイトのアドバイス通りに勉強してみる。

追記:簿記の出題別トレーニングとしては『合格するための過去問題集日商簿記2級 第12版』がよい。

Monday, December 7, 2009

着々と...

一月のTOEICの申し込みをしました。時間のある今のうちに取れる資格は取っておこうと思ったので。前回TOEICを受けたのが約四年前。そのときの点数がたしか865だったので、今回は900を目指す。iPhoneでTimeやNYTimesを読んでいるのですが、ときどき語彙力不足を感じるし、ここらで一気にてこ入れしておきたいと思ったのが受験理由。こんご海外出張をする可能性もあるので、その準備の意味合いもある。

二月には簿記二級も受ける予定。ビジネス、特に経営をしていくにあたって会計力は必須だから。商業、工業、共に問題集は一度解いているので、もう一度基礎を確認して問題を解きなおせば大丈夫だと思う。

あとは、少しまじめに身体を鍛え始めました。中学、高校と柔道部だったし、その後も定期的に筋トレとジョギングをしてきたので基礎体力はそれなりにはあるつもり。ただ、このところ忙しかったということもあって、少し調子が悪かった。今日もさっそく走ってきたのですが、北風が厳しくて冬を感じました。

Sunday, December 6, 2009

システム手帳

ようやく来年の手帳を購入。今年は一週間見開きバーチカルタイプ(時間軸が垂直についているタイプ)、しかも一日分が縦に分割されているタイプのものを使っていたのですが、同じ型の手帳が見つからなかったので、来年からはシステム手帳にしてリフィルで対応することに。

いままでは、一日分のタイムテーブルの左側に予定を、右側に実際に過ごした時間を記録し、「予定表+自分の時間の使い方のデータベース」として利用していたのですが、今年はどうしたものか。一ヶ月見開きリフィルと一日見開きリフィルを併用するというのが一番いいような気もする。ただ、こんご一日の活動時間が10時~22時みたいな生活をすることになるので、それに対応した時間軸があるものでないといけない。また、週末も仕事が入るので、そこら辺もフォローできるものでなければ。

というわけで色々探したのですが、JMAM(日本能率協会マネージメントセンター)の「見開き1日タイプ[001]」を買うことに決めました。贅沢にも一日で一ページを使用、バーチカルタイプの時間割りにチェックリストが付いた優れもの。タイムテーブル欄の幅が広いので、左に予定、右に行動の記録をつけることもできそうです。なお、週末だけ二日で一ページになるのですが、これは「1日計画表」という、「見開き一日タイプ[001]」の日付の部分だけが空欄になったリフィルで対応することに。

僕の場合、行動をすべて手帳に落とし込むことでプランを進めていくので、手帳選びがけっこう重要な作業だったりする。ちなみに今日買った手帳はKNOXのフロートラインのバイブルサイズ。すでに生産が終了しているようで、手に入れられたのはラッキーなのかも。(しかも、かなり安く買えた。)

Saturday, December 5, 2009

「戦場でワルツを」

イスラエル人の映画監督、アリ・フォルマンの「戦場でワルツを」を見てきました。1982年にイスラエル占領下のレバノンで起きたパレスチナ人虐殺事件、「サブラ・シャティーラ大虐殺」を題材としたドキュメンタリー・アニメ。当時、イスラエル兵としてレバノンに在留していたフォルマン監督自身の自伝という側面も持ちます。

世界中で高い評価を得たこの作品、フランスでは数年前に公開されていたようで、僕がパリから帰国する頃(今年の夏くらい)には、すでにDVDが発売されていました。DVDも非常に話題になっていて、St. Lazareのタワーレコードのモニターでずっと映像が流れていたので気になっていたのですが、ようやく日本で見ることができました。

フランスにいるととても身近な問題だけれども、日本にいるとなかなか情報が入ってこない中東情勢。それでも良質の中東映画はたまに入ってくるので、できるだけチェックしていきたいと思います。尚、France 2のインタビュー番組、「Des mots de minuit」がときどき中東のアーティストをゲストとして呼んでいるので、フランス語ができる方にはオススメです。

「戦場でワルツを」の予習としては、下のNHKの番組がオススメ。イスラエル・パレスチナ問題の解説やフォルマン監督のインタビューを聞くことができるので、映画館に行く前に見ておくと、より映画を楽しめます。(映像を大きくするにはフレーム下部、右から二番目のボタンをクリック。計25分。No.3まであります。)



リンク:
NHK 「戦場でワルツを」特集番組 No.2 (YouTube)
NHK 「戦場でワルツを」特集番組 No.3 (YouTube)
「戦場でワルツを」公式サイト
「Des mots de minuit」(France 2)

「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」

恵比寿の東京都写真美術館で開催されている「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」展に行ってきました。共にライカを使用し近代写真を切り開いたアーティスト、木村(1901~1974)とブレッソン(1908~2004)。あまり期待しないで行ったのですが、予想に反して面白かった。

戦後の日本の風景を白黒でとらえた木村の写真は、目にするのは今回が初めてだったけれど、どこか懐かしさを感じさせるものでした。ロラン・バルトが『明るい部屋』という写真論のなかで亡き母の写真について言及し、「ここに写る母はもういないが、この写真は母が確かに存在したことを証明する。《それは=かつて=あった》のだ。その事実が私を貫く」ということを書いていたが、木村の写真からも同じような印象を受けました。写真に写る彼ら・彼女らはもうすでにいないが、彼ら・彼女らは確かに存在したのだ。

ルーマニアの宗教学者、ミルチャ・エリアーデが「人間存在の破壊されえないこと(indistractivility of human existence)」ということを言っている。何が起ころうとも、どれだけの時が経とうとも、ある人が(例えばあなたが)存在したという事実は決して否定されない。人間存在の不滅性を、写真は刻印する。

リンク:「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」

Friday, December 4, 2009

決定

ようやく居場所が決まりました。フランスにいる友達には、また改めてメールします。

いやいや、それにしても今回の経験を通して色々なことを学びました。日本語で話すということから勉強し直さなくてはならなかった帰国直後。そこから始めて、なんとかここまでたどり着きました。実際に動き出すのは来年の三月から。これまでの経験をキャリアとしてすべて生かせるようなフィールドなので、できる限りの準備をしておくつもりです。