Friday, August 26, 2011

いろいろ

行きつけのバーで大学の助手みたいな女性と知り合いになった。どうも話が合うなーと思ったら同い年だった。世の中面白い。今日飲んだ酒はギネスとフレンチコネクションとラスティネール。

Tuesday, August 23, 2011

バー

行きつけのバーでヤマちゃんさんと知り合いになる。酔った勢いで人をぶん殴っていろいろごたごた大変らしいけど、メッチャいい人。世の中おもしろい。

パトリック・ジュースキントの『香水 ある人殺しの物語』を読んでいる。こちらもなかなか。

iTunesではっぴいえんどのアルバムを買う。そんな感じ。

Wednesday, August 17, 2011

神田

連休だったので久々に実家に帰ったり、大学時代の友達にあったり。

学生時代に一緒にアルトーの勉強会を開いていた女友達と神田で待ち合わせをしてクリムトでワインを飲んだ。二件目のバーでもう一人の女友達が合流、三人で酒を酌み交わす。途中でフランクさんが来店、昼は商社、夜はオペラ歌手という異色の天才で、お目にかかるのはお初だったけれどやけに意気投合して、みんなでオペラを歌う。

あっちに行ったりこっちに行ったりと話題は尽きなかったけれど、渡辺一夫の偉大さを再認識したり下村湖人の存在を教えてもらったりと、言葉に尽くせぬすてきな夜だった。文化というものの偉大さを改めて実感する。

話は前後するが、松丸本舗で本を購入。パトリック・ジュースキントの『香水』だとか、河合隼雄のユングの本だとか。自分の根底の部分を見つめ直すと、そこにはいつも文学がある。それだけはいつまでたっても変わらないんだろうな、と思う。

自分の中に常に新しい物語を通過させないと自分自身がなくなる。これは空気を吸ったり食事をしたりするとの同じくらい、非常に現実的に必要なことである。

Tuesday, August 9, 2011

徒然

コンビニに行ったら「ぴあ」の最終号を見つけた。思わず買ってしまった。大学生の頃は「ぴあ」で見つけた映画に足しげく通ったものだが、そんな日々も今となっては遠い昔のこと。あのころは映画を一本見るのにも財布の中身を気にしていた。金はなくても時間だけはあった時代。いまは金はあっても時間がない。

飯田橋の「ほしの」に一年半ぶりに行く。マスターは僕のことを覚えていてくれた。思わず一人で深酒する。今の仕事に就く二日前、上智大学の女友達と一緒に朝の4時まで飲み明かした。

バーに寄って帰るのがささやかな楽しみ。頼むのはフレンチ・コネクション。ジャズを聴きながら。一年近く通いつめて先日はじめてマスターと言葉を交わした。バーテン歴20年。10年続けると仕事もいろいろと見えてくるらしい。

Jim JarmuschのDown by LawをDVDで流している。野郎三人、森の中でたき火を囲んでいる。Tom Waitsが好きで、ゴダールの「カルメンという名の女」のワンシーンが忘れられない。

フランスにいたときに感じたフランス人の仕事の仕方。徹底的に休みたいから、徹底的に仕事を効率化する。無駄なことはしない。細かなことにこだわりすぎない。いま求められているのも、そういうことなのかもしれない。

おそらく体の奥の方が純粋に、非常に疲弊しているんだろうな、と思う。疲弊の極北の中で自分が確実に失われていくのを感じる。過去の自分に幻想を抱くような歳でもないが、それでもパリに戻りたいと時々思う。

アルトーを研究していたから、という訳でもないだろうが、自分にとって「分身」というのは生涯つきまとうテーマになりそうだ。ジュネが『泥棒日記』においてすでに提示していた他者としての自己という感覚は、私にとっておそらく唯一の救いである。そんな私の楽しみは、そのような存在としての自分を徹底的に突き放し、もてあそぶことであろう。

Wednesday, July 20, 2011

ジャンケレビッチ

ジャンケレビッチの『死』とサルトルの『嘔吐』の新訳、ジョン・コルトレーンの「Love Supreme」を購入。『死』について。一人称の死と三人称の死との間にある断絶。あまりにも一般的な「彼」の死に対して、「私」の死は私にとって圧倒的。バンヴェニストの影響も垣間見られる。死の中に自己を投棄することによって良心が現出すると言ったのはハイデガーだったろうか。

Saturday, July 16, 2011

bar

久しぶりに大学の友達、後輩と飲む。三人ともフランス文学が専門、パリへの一年間の留学経験がある。8月からフランスに行くという後輩の送別会も兼ね、池袋のバーへ。

神秘主義について。絶対的な一者との合一が神秘主義の核心なのだとしたら、それはどこか仏教にも通じる。それは自己の消滅であり、目の前の日常に埋没する現在の私にとって一つの救いでもある。自己をどこまで棄てられるかということが人間の生の目的なのだろうか。

Tuesday, July 12, 2011

復活

一年ぶりの復活です。大江健三郎の言うように「書く=考える」ことだとしたら、最近の自分は日常の仕事にあまりにも忙殺され、考えることをしてこなかったから。もしそうであるならば、僕は再び書くことから考えることを始めていきたい。

この一年、様々なことがありました。仕事における自分のポジションも大きく変わったし、それに伴って生活スタイルも、こちらは多少ではあるが、変わった。

教育業界で働いているので、今後は教育関連の記事が多くなると思います。

職業観に基づいた進路選択について、自分自身の経験から。高校時代は常に正解のある問題と向き合ってきた。与えられた問題を正しく解くことで評価される、そんな世界にいた。そして僕はなんとなく理工学部に入学し、なんとなく大学生活を始めた。

ところが、大学に入って数回目の講義で気がついた。ここには自分が本当にしたいことは何もない、と。高校と違い、大学は自ら問題を発見していく場である。そこにはあらかじめ用意された答えなどない。そのような場に何の興味もないままに何となく存在していること、そして興味を抱いているような振りをすること、それは苦痛以外の何ものでもない。

そして僕は気づいた。僕が本当にやりたかったのは文学、アートであるということを。それまでも小説は好きだった。アートは好きだった。しかしそれらは僕にとってあくまでも趣味であり、本気で打ち込む仕事とは別にされるべきものだった。仕事にしてしまうことで文学やアートを嫌いになることを僕は恐れていた。

結局、僕は大学を辞め、文学を学ぶために新たに別の大学に入り直した。そして学ぶことの本当の楽しさを知った。そこには、自分が人生をかけてもいいと思えることに思い切り集中できる環境があった。僕はフランス語を学び、フランス文学を学び、パリに旅立った。

おそらく二十代の半ばまでは自分勝手に生きることと自己満足は矛盾しない。しかし三十を過ぎると、自分自身の人生にあるミッションを求めるようになる。社会貢献、どんな名称を付けようがそれはいい。自分がこの世界に存在する意味、理由を求めるようになる。

パリでできた最初の友達はレバノン人だった。9.11の影響もあってだろうか、レバノンの学生はフランスのビザを取得するのに半年かかる。(ちなみに日本人は二週間程度。)それほどの苦労をしてでもパリで化学を学びたい、と彼は言った。その理由は、一人前になって国に帰って国を復興させるため。

主体的に生きる人間が持つ個人的な憲法、ミッション・ステートメントと呼んでもいいが、僕のミッションは何なんだろうか?