Saturday, January 12, 2013

罪と罰

罪と罰の関係についてミラン・クンデラが面白いことを言っていた。ドストエフスキーの『罪と罰』に代表されるように、19世紀においては罪が先におこり、その罪をあがなうために人は自ら罰を求める。ラスコーリニコフは金貸しの老婆を殺すという罪を犯し、殺人という罪に耐えられずに自分から出頭しシベリアへと送られた。

ところが20世紀において、罪と罰の関係は逆転する。カフカのヨーゼフKは、いきなり罰をくだされ、その罰を正当化するために自ら罪を作り上げた。そしてそれは、21世紀においても継続しているのかもしれない。理不尽な罰をくだされた者は、ありもしなかった罪を自らに信じ込ませ、あたかも自分が犯罪者であったかのように自分自身を嫌悪していく。だがそもそも、罰なんてものが世の中にあるのか。幸不幸という判決を下す最終的な審級は絶対的な主体者である自己である。

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