明けましておめでとうございます。久しぶりの投稿。相変わらず仕事で忙しい。バランス感覚が重要。
ゴーギャンではないが、「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」、そんなことを考えていた年末年始。まとまった時間がとれないと自省にふけるということすらできない。
人生を他人に預けているとき、人は言葉を失う。僕はまだ言葉を失っていないのだろうか?これは果たして僕の、僕自身の人生なのだろうか。社会に自殺させられたものとしてのゴッホというアルトー的な解釈に対して、自分自身はそのような屈し方はしたくないと思う。「人間は自由である。しかし、自分が自由であるということを忘れたとき、もはや自由ではない」というようなことを誰かが言っていた。(誰だったのだろうか?)僕はまだ自由でいられるのか?
僕はやはり書き続けなければならない。最後に文章を、仕事用のものではなくて自分自身の、文章を書き終えてからかなりの時がたつ。多くのことが起きた。身近に死が迫り、現実がのしかかり、視野狭窄、社会が首を絞め、顔がこわばる。だからこそ、言葉によって、多少強引にでも自分自身の核にある自分をえぐり出さなければならない。
いまの僕の生には笑いとディオニソスが足りない。だからクリエイティビティが生まれない。だから仕事でもブレイクスルーが起きない。ラブレーのいうアゼラリストに成り下がってはいけない。ヘッセの『荒野のオオカミ』、最後に高らかに鳴り響くゲーテの笑いを思い出さなければならない。
MBAよりもMFAが重宝される時代、二十代の頃に人生のすべてを捧げた文学と哲学とアートを糞の肥やしにもしていない現状はなんなのか。「現代の俳優は叫ぶことを知らない」というアルトーの言葉、人生は演劇であるという意見には強く強く同意する、だからこそ僕は叫ばなくてはならない、のどが裂けて身体が深紅で覆われるまで。
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