足りないものがちょこちょこ出てくるので、落ち着くまでもう少し時間がかかりそう。(フォーク買うの忘れたから、スパゲティーを箸で食べた。)
今日は夕方からレジス・ドゥブレの講演会へ。「境界とはなにか」みたいなことがテーマだったが、正直言ってあまり面白くなかった。いったい何がしたいのだろう?という感じ。
帰宅途中、JRが完全運休に。15分で帰れるところが40分もかかる。なんだかぐったり。
哲学者というのも、なかなか難しい職業だな、と思う。「哲学とは何か?いったい世の中の役に立っているのだろうか?」というようなことを考え続けつつ、同時に飯を食っていくためにどこかで妥協しなければならないから。顧客の姿が見えにくいし、誰のためにやっているのかも分かりにくい。(ということは、金にもなりにくい。)少なくとも、僕には耐えられなかった。
日本においては、自分自身がハッピーになることをとことん目指していくことが、結果的にはみんなのハッピーにつながるような気がする。
そういえば開花宣言。花見がしたい。しばらく会ってない友達とかにも会ってみたい。
慣れない部屋にひとり。やはりJAVELのことを思い出す。思えばよくもまあ単身でパリに行ったものだ。
それからいくつか情報。いま調べたら、近所のスーパーMは24時間営業。すごく便利。(フランスじゃ考えられない。)あとRadikoはかなり快適。これでラジオ端末を買わなくてすむ。(Inter FMとJ-WAVEが聞ければラジオは十分。)
リンク:radiko
明日買うもの:
・洗剤
・まな板
・ナイフ
・フォーク
・スプーン
・シャワーカーテン
・ボディーシャンプー
・スピーカーの延長ケーブル
・パン
仕事が本格的に始まる前にいろいろさっさと済ませなければ。
こないだのフランコフォニーフェスティバル、映画監督のアルノー・デプレシャンと黒沢清との対談から。(まずは黒沢清のコメント。)近年のデプレシャンの映画は憎しみをテーマとして取り扱っている。普通、憎しみは殺人事件などといった形で表出する。憎しみによってナイフを、あるいはピストルを握り、憎まれた人は殺されることによって画面から消えていく。しかしデプレシャンの映画の場合、たとえ憎しみが充満したとしても憎しみによって人は死なない。憎しみを抱える側も、憎まれた側も、ともにそれぞれの感情を胸に抱きながら映画の最後まで画面上に残り続ける。
デプレシャン曰く、たしかに憎しみは卑小な感情だが、憎しみによって登場人物に深みを与えることもできる。愛が人を偉大にするのが通常の手法。しかし、憎しみによっても人間を掘り下げることはできる。
流石に少し疲れたので、ワインを飲んでいる。最寄り駅から神楽坂まで10分くらい、行きつけの店がグッと近くなる。これでマスターにもちょこちょこ会える。
このブログを見ている友達(数人を除いて誰が見てるか忘れた)、人生の真髄は遊ぶこと(by ニーチェ)、神楽坂で遊びましょう!(いまの時期は夜桜がきれいなはず。)
今日は夕方からレジス・ドゥブレの講演会へ。「境界とはなにか」みたいなことがテーマだったが、正直言ってあまり面白くなかった。いったい何がしたいのだろう?という感じ。
帰宅途中、JRが完全運休に。15分で帰れるところが40分もかかる。なんだかぐったり。
哲学者というのも、なかなか難しい職業だな、と思う。「哲学とは何か?いったい世の中の役に立っているのだろうか?」というようなことを考え続けつつ、同時に飯を食っていくためにどこかで妥協しなければならないから。顧客の姿が見えにくいし、誰のためにやっているのかも分かりにくい。(ということは、金にもなりにくい。)少なくとも、僕には耐えられなかった。
日本においては、自分自身がハッピーになることをとことん目指していくことが、結果的にはみんなのハッピーにつながるような気がする。
そういえば開花宣言。花見がしたい。しばらく会ってない友達とかにも会ってみたい。
慣れない部屋にひとり。やはりJAVELのことを思い出す。思えばよくもまあ単身でパリに行ったものだ。
それからいくつか情報。いま調べたら、近所のスーパーMは24時間営業。すごく便利。(フランスじゃ考えられない。)あとRadikoはかなり快適。これでラジオ端末を買わなくてすむ。(Inter FMとJ-WAVEが聞ければラジオは十分。)
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明日買うもの:
・洗剤
・まな板
・ナイフ
・フォーク
・スプーン
・シャワーカーテン
・ボディーシャンプー
・スピーカーの延長ケーブル
・パン
仕事が本格的に始まる前にいろいろさっさと済ませなければ。
こないだのフランコフォニーフェスティバル、映画監督のアルノー・デプレシャンと黒沢清との対談から。(まずは黒沢清のコメント。)近年のデプレシャンの映画は憎しみをテーマとして取り扱っている。普通、憎しみは殺人事件などといった形で表出する。憎しみによってナイフを、あるいはピストルを握り、憎まれた人は殺されることによって画面から消えていく。しかしデプレシャンの映画の場合、たとえ憎しみが充満したとしても憎しみによって人は死なない。憎しみを抱える側も、憎まれた側も、ともにそれぞれの感情を胸に抱きながら映画の最後まで画面上に残り続ける。
デプレシャン曰く、たしかに憎しみは卑小な感情だが、憎しみによって登場人物に深みを与えることもできる。愛が人を偉大にするのが通常の手法。しかし、憎しみによっても人間を掘り下げることはできる。
流石に少し疲れたので、ワインを飲んでいる。最寄り駅から神楽坂まで10分くらい、行きつけの店がグッと近くなる。これでマスターにもちょこちょこ会える。
このブログを見ている友達(数人を除いて誰が見てるか忘れた)、人生の真髄は遊ぶこと(by ニーチェ)、神楽坂で遊びましょう!(いまの時期は夜桜がきれいなはず。)
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