Saturday, January 5, 2013

メランコリー

過去というものは常に美化されるもので、例えばパリ留学時代、ルーブルの界隈をただただ当てもなくさまよい歩いていた日曜日の午後も、当時としては寒く退屈な一日でしかなかったにもかかわらず、いまとなっては異国の地でのどこかほろ苦く、しかし限りなく甘美な思い出となっている。過去を美化して現在と比較し、現在の情けなさを嘆くというのはあまりにもむなしい。一度も得たことのないものをあたかもかつて手にしたもののように思い込み、それを所持していない自分を悲しむということをアガンベンは「メランコリー」と呼んでいた(ような気がする、よく覚えていない)が、それではパリ時代に果たして僕は何をしていたというのだ。あるいは、いま僕に、まさにこの土地でいったい何ができるというのか。

「異邦性」というものがもつある種の気楽さと孤独にあこがれを抱くというのならば、どこにいようとも人生そのものを異邦人として全うすることもできる。ムルソーが実現したことであり、その意味で彼はスタヴローギンに通じる。世界は劇場であり人生は演劇だ。一人の俳優としてこの生をいかに演じきるのか、真の俳優になれた時、運命はおのずと向こうからやってくる。自分と世界との間に真空のすき間をつくること、世界が密着しすぎると息ができない、窒息死する。

パリに住み、マラケシュを放浪し、それは冒険だったのだろうか。すべての行動の責任が自分にかかっているという点において、だからこそそこには自由があったという点において、確かにそれは冒険だったのかもしれない。そうであるならば、この瞬間も冒険にできる。

Friday, January 4, 2013

cold day

Cold day. I have nothing to write. What I wanted to do when I was young was nothing but living my life, but what the hell is life? When I was young, when I was 20's, I lived in Paris, just for one year, I studied french literature at Paris university, so what. So what. Yes, like Miles, So what. Life? So what. 

I do not know what I want to do. This is a problem of my desire. I can not live. What I use when I work is just logic, and this is why my job is not art, but fundamentally life is art, the world is theatre, I am an actor.  

久々

明けましておめでとうございます。久しぶりの投稿。相変わらず仕事で忙しい。バランス感覚が重要。

ゴーギャンではないが、「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」、そんなことを考えていた年末年始。まとまった時間がとれないと自省にふけるということすらできない。

人生を他人に預けているとき、人は言葉を失う。僕はまだ言葉を失っていないのだろうか?これは果たして僕の、僕自身の人生なのだろうか。社会に自殺させられたものとしてのゴッホというアルトー的な解釈に対して、自分自身はそのような屈し方はしたくないと思う。「人間は自由である。しかし、自分が自由であるということを忘れたとき、もはや自由ではない」というようなことを誰かが言っていた。(誰だったのだろうか?)僕はまだ自由でいられるのか?

僕はやはり書き続けなければならない。最後に文章を、仕事用のものではなくて自分自身の、文章を書き終えてからかなりの時がたつ。多くのことが起きた。身近に死が迫り、現実がのしかかり、視野狭窄、社会が首を絞め、顔がこわばる。だからこそ、言葉によって、多少強引にでも自分自身の核にある自分をえぐり出さなければならない。

いまの僕の生には笑いとディオニソスが足りない。だからクリエイティビティが生まれない。だから仕事でもブレイクスルーが起きない。ラブレーのいうアゼラリストに成り下がってはいけない。ヘッセの『荒野のオオカミ』、最後に高らかに鳴り響くゲーテの笑いを思い出さなければならない。

MBAよりもMFAが重宝される時代、二十代の頃に人生のすべてを捧げた文学と哲学とアートを糞の肥やしにもしていない現状はなんなのか。「現代の俳優は叫ぶことを知らない」というアルトーの言葉、人生は演劇であるという意見には強く強く同意する、だからこそ僕は叫ばなくてはならない、のどが裂けて身体が深紅で覆われるまで。

Sunday, February 26, 2012

明日

明日はいよいよ大一番。睡眠時間があまりとれないけれど、なんとか乗り切ろう。とにかく、やるべきことを万全を尽くしてやりきること。仕事においてはいかなる感情もいらない。

Saturday, February 25, 2012

粛々

粛々と、粛々と、粛々と仕事をこなしていく。計画通りには行かないかもしれないが、常に現状を客観視し、優先順位をつけ、やるべきことをやっていく。若林計志の『プロフェッショナルを演じる仕事術』(PHPビジネス新書)を読んでいる。なかなか面白い。

それから、こんなサイトを発見。

Friday, February 24, 2012

コンサル

コンサルタントという仕事について。あくまでも会社は彼らのものであり、私の役割は組織を成立させるための裏方にすぎない。もちろん表に出なければならないときは、例えば責任者という役を背負って出ることもあるが、本来のミッションは組織の下支え、人が手を出したがらない仕事をこなす便利屋であり、利益の最終責任者である。あらゆるビジネスは数である。現実を見つめ、ミッションを果たすためにいかなる感情にも惑わされずに粛々と仕事をこなす。あたかもフロベールの文体のように、私も大人にならなくてはならない。

Wednesday, February 22, 2012

OFF

久々のオフだったので渋谷で『ドラゴン・タトゥーの女』を見る。その後、六本木に移動し韓国人の女性アーティスト、イ・ブルの展覧会を鑑賞。夜は神楽坂でイタリアン。友達との予定が合わなかったので一人行動。夜はヴィンセント・ギャロのEssential KillingをDVDで。

仕事に忙殺されている、ということを言い訳にして自分自身の人生を生きることから目を背けないこと。デビッド・フィンチャーの新作を見てそんなことを思う。今から四年前、パリにまで追いかけ続けたものを今の自分は忘れかけている。Vivre ma vie. 何のために英語とフランス語をマスターし、何のためにフランスに旅立ったのか。過去の自分を美化するつもりはないけれど、もう少し自分の原点を見返してもいいのではないか。

人間がもつ闇の部分をもっとしっかりと見つめなければならない。かつて、初めてカラマーゾフを読んだときに感じたように、右目で人類最上の美を拝み、左目で身を焦がす醜悪を凝視する。イ・ブル展を見て感じたこと。

身体の細胞の一つひとつが、物語を求めている。それは言い換えればいまの僕が自らの物語を見失っているということでもある。知性の喪失と再生。

「苦しみがなくなるようにとか、苦しみが少なくなるようにとか求めないこと。そうではなく、苦しみによって損なわれないようにと求めること」

シモーヌ・ヴェイユ