環境に適応するためにハムレットになろうと思い、気が付いたら本当の狂人になっていた、というのでは洒落にならない。
リルケの『マルテの手記』のなかに、長いあいだ仮面を付けすぎて本当の自分の顔を失った人の話が出てくるが、ペルソナを無理やり被ったことで、(あるいは被らざるをえない状況にいることで)、それまで自分が大切にしてきた「自分らしさ」を失ってしまうことだってあると思う。
構造主義的に言えば「主体」など幻想にすぎないのだが、それでも「素の私」は存在する。自分がいちばん自然でいられる場所、そんな自分に戻してくれる人というのは、本当に大切。
冷凍庫に入っているイクラの賞味期限、5/20だったよ。というメッセージを送ってみたり。それまでに食べられるといいけど。今日もフラフラです。
リルケの『マルテの手記』のなかに、長いあいだ仮面を付けすぎて本当の自分の顔を失った人の話が出てくるが、ペルソナを無理やり被ったことで、(あるいは被らざるをえない状況にいることで)、それまで自分が大切にしてきた「自分らしさ」を失ってしまうことだってあると思う。
構造主義的に言えば「主体」など幻想にすぎないのだが、それでも「素の私」は存在する。自分がいちばん自然でいられる場所、そんな自分に戻してくれる人というのは、本当に大切。
冷凍庫に入っているイクラの賞味期限、5/20だったよ。というメッセージを送ってみたり。それまでに食べられるといいけど。今日もフラフラです。
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